Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/


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Gマシン問題から、e-sportsにいたるまで。

#contents

*history [#m6632c87]

-1970年代末:インベーダーブーム
--『ゲームセンターあらし』の中に登場する。%%実際には存在していなかったが、麻雀の代打ちからイメージを借りたか?やさぐれたインベーダーのスタープレイヤー。ネガティブな「プロゲーマー」像が描かれる。実際にはそんな存在はいなかったと思うので、大変にヘンテコな存在なのだけれども。%%
--12/14訂正:この記述はちょっと違う。「プロゲーマー」なる存在がいたのかどうかはわからないにせよ、Gマシン問題というのが80年代中盤までずっと存在していて、ゲームを賭けの道具として使う、というのが大きく扱われている時期があった((当時の「ゲームマシン」紙を参照すればわかる))。多分、あらしの中に出てくるインベーダーのプロゲーマーはここにヒントを得たのだろうと思う。(もちろん、あらしの中に出てくる登場人物が「ヘン」であることはかわりないが。事実無根なところからいきなり妄想されたものでないことだけは確か)((なお、補足になりますが、当時、暴力団関係のゲーム業界大手コナミは、現在ではカジノのゲームマシンを生産して年間売り上げの数十パーセントをもっております。))
-1980年代中半:ファミコンブーム
--ファミコンロッキー:高橋名人などの全盛期とかぶる。虚像としてのゲーム業界がまさに支えられていた当時。あこがれの対象としての「名人」という存在へ。高橋名人などはハドソン営業部の社員だったわけだが、田尻智などはまさに猥雑な都市の中から発生した人だった。彼は「ゲームフリーク」をたちあげ、ログインやファミ通市場において「プロ」や「名人」の地位を獲得している一方、当時の「オタク」というカテゴリーが中森明夫によってつくられるなかで「オタク」というネガティブなカテゴリーの中で紹介されている(別冊宝島のオタク特集にて)。そして、彼は「名人」という地位からのちに、『ポケモン』の製作者へとなるわけだが…
--また、当時、コロコロコミック等にとりあげられるような潮流とはならなかったが、RPGやAVGにおける「名人」も実際には存在していた。元ファミ通編集長である浜村弘一も83年の『パソコンゲームランキングデータブック』によれば、「数々のゲームを解明してきた」という形の名人イメージが語られていたし、何よりも当時から現在までAVGやRPGの名人をずっと継続している山下章の存在も忘れてはならない。当時一橋大学の学生だった山下は、『マイコンBASICマガジン』誌上にて85年の末(85年12月号)から「チャレンジAVG」「チャレンジRPG」「レスキューAVG」などといったコーナーを連載し、RPGやAVGの攻略、紹介を行っていた。86年の二月号では「山下先生にこのゲームを解かしたらどのくらいかかるのか」と『ハイドライド2』の作者である内籐氏がおそらくは広告の意味もこめて「挑戦状」を送りつけている。この事件は(1)RPG、AVGの名人という存在があったこと(2)RPG、AVGの難易度(謎解き)とゲームとしての面白さ、消費傾向が連結している時代が存在していた、ということを明瞭に示している。なお、山下章は現在「解体新書」シリーズで知られるスタジオベントスタッフの社長である。
-90年代前半:スーパーファミコン全盛
--全員がやるゲームがほとんどなくなっていくと同時に、発売されるゲームの量が増加。「名人」という存在が原理的にも無理になるし、需要も消失していく。そんな中でぷよぷよ、やストIIの大会で勝ち上がったプレイヤーなどは多少脚光をあびたか?…あまり印象がないけれど、共通の話題となるようなゲームは確かに存在していた。ただ、スクウェアのRPGの全盛期でもあり、非RPGゲーマーである「名人」達はコンシューマーから撤退し、活動の場がほぼアーケードのみという状況に近づいていく。
-90年代中盤〜後半:PSなどの第三次次世代機戦争まっさかり
--日本国内においてはバーチャファイターを中心としたコミュニティが形成され、ぶんぶん丸が大きな注目を浴び、ぶんぶん丸はそのままファミ通編集部へと就職する。その後もバーチャファイターコミュニティは強力に形成され、キャサ夫やちび太などのスタープレイヤーが出る。スタープレイヤーであることと「社会的成功者」イメージの結びつきこそないものの、社会的にその価値を見出され、就職口があったりする存在ぐらいにはなりえている。ただ、当時から続く「バーチャファイターコミュニティ」は同世代のほとんどのゲームプレイヤーを巻き込んだような85年の『マリオ』や92年の『ストII』などと比べるとその規模は半分にも満たないものだった。
--アメリカにおいては、DoomやQuakeの中でスタープレイヤーが誕生し、大きなコンテストが開かれ、莫大な賞金が出る。スタープレイヤーであることが社会的成功と結びつく状況が形成されている。これには、「ゲーム機としとのWindows」の評価を勝ち得るためのビル・ゲイツ、マイクロソフトの意向も絡んでいる。
-2000年代〜:
--国内のバーチャコミュニティは持続。海外ではバーチャのプロゲーマーも登場しているらしい。
--アメリカのFPSのスタープレイヤーも持続
--注目すべきは、韓国のMMORPGの盛り上がりのなかで。RPGのプロゲーマーが発生したことだ。RPGでプロゲーマーが発生する、ということは今までなかったというか、ありえなかったのだが、RMT(RealMoneyTrade)によって月収14万〜20万程度を稼ぐプレイヤーが登場する…だが、彼らは生活こそできているものの社会的には引きこもりであり、まわりのイメージも悪く、本人達も自分達の生活状況に嫌気がさして、その生活を続けるものはあまり多くなかったらしい。
--MMOの中で登場する「スタープレイヤー」については私は詳しくないが、基本的にはひきこもり?UOだと「うさぎ」というプレイヤーで大変に盛り上がっていたらしい。
--なお、日本国内において、東京テレビで行われたテレビチャンピオンの「ゲーム王」に関することも注目に値する。番組に参加した茂内氏のレポートによれば、TVメディアの中で「ゲーム王」というイメージにあうような存在は、もはや存在しないため、そのほとんどが番組の「やらせ」によってしかありえなかった。「ゲーム名人」(アクションゲーマー)も「ゲーム博士」(RPG博士)も「オタク」(ギャルゲーマー)も番組の製作会社のやらせによって作り出されたイメージでしかなく、出演者たちはそれを演じるように要請されたことが赤裸々に告白されている。

*about Korean [#o875f02f]

はじめまして。
メルマガ「ゲーム攻略本を100冊作った人の話」を購読させていただいている井上と申します。毎回楽しみに読ませていただいております。

 今回、韓国のプロゲーマーについて書かれていたのが大変興味深かったので、感想と質問もメールを出させていただきました。

 韓国のゲーム熱がかなりものすごいことになっていて、いま「プロゲーマー」は子供のなりたい職業ランキングの一位になっている、などといった話は聞いていましたが、国家レベルでの「プロゲーマー認定試験」の話などは全くの初耳でした。
 メルマガで取り上げられていた、http://www.e-sports.or.krのサイトの方も覗いてみましたが、ゲームのことを「e-sports」などという枠組みで語ろうとするなどといった志向性は日本にはいままでほとんどなかったことですし、大変驚きます。

 さて、以下は質問と私なりの認識です。

 日本では、80年代にはハドソンの営業社員だった高橋名人のほかに、東京のゲーマーとして有名だった田尻智、現スタジオベント代表の山下章、そして、毛利名人、橋本名人などといった人々が、「名人」や「プロ」といわれていた時期がありましたが、実質的には彼らはゲームの「プロ」というだけで食っていたことはなかったかと思います。実際にはイベントでのタレント的扱いを受けることや、ライターとしての収入源のほうがほとんどで、ゲーム大会で勝利する、などといった形で収入が発生することはほぼなかったものだと認識しております。
 90年代には、スト2やぷよぷよ、バーチャなどでゲーム大会が開かれ、ブンブン丸などが脚光を浴びた時期もありましたが、80年代のそれとはかなり異質なものでしたし、ブンブン丸以外のスタープレイヤーといえば、当該ゲームをやっている人の中でだけ有名といった程度で、ゲームのスタッフクレジットを見るとちょくちょく特別スタッフとして参加していたりすることを確認できたりしますが、彼らがゲーム大会の賞金で暮らしているといった雰囲気はやはりありません。

 アメリカでは、Quakeや、CounterStrikeのスタープレイヤーが大会で優勝すると、数十万ドルといったレベルの賞金をもらえるとのことで、日本の状況からすればこれも全く異なった状況ですが、『ダンジョンズ&ドリーマーズ』などで紹介されている話を読むと、基本的には企業間の思惑によって大会運営がなされており、マイクロソフト社や、シエラ社による商業的イベントといった側面の強く見られるものだと思います。
 ここでは、マイクロソフトやシエラ社が手を引いたら、プロゲーマーはとてもじゃないですが職業としては成りたたないものかと思います。

 プロゲーマーというのは、こういった形で、基本的には「ゲームのものすごくうまい人」が、時の熱狂や、企業の思惑といったきまぐれで、たまたまその時々に瞬間的に職業として成立できたり、できなかったりするものでしかなかった、というのが現在までの枠組みだったのにもかかわらず、韓国での国家レベルのバックアップや専門の育成機関が存在する、というのは従来までのそういった在り方を明らかに越えているわけですよね。

 まず、その時々のものすごくレベルの高いゲームプレイヤーというのが、個々のゲームのマニアとか時の熱狂といった水準を越えて<国家>に支援される――その社会において肯定されうる種類の職業的価値を認められるということ自体が、ゲームの歴史的にみても、かつてないことだというのが一つ。
 そして、そういった職業の人間が繰り出す行為がエンターテイメントとして成立するためには当たり前ですが、それを見て「楽しい」と思える人間が一定数以上いなければなりたたないわけですよね。少なくともそれって、ゲームというジャンルの場合、将棋とかゴルフとかと決定的に違っている部分として、どんどんと流行っているゲームの内容が違ってくるわけで、ファミコンのマリオブラザーズを20年間の間、100万人がやり続けていたりはしない。どんどんと、基本ルールとも言える対象のゲームそのものが移り変わっていってしまう。それに対してスタープレイヤーがキャッチアップしなければいけないのはもちろん、スタープレイヤーを鑑賞する人たち(=一般のゲームプレイヤー)もまたその流れに対して、数百万人規模でキャッチアップしていってないことには、スタープレイヤーのプレイを見ても「楽しい」と思いようがない。だけれども、韓国のゲーム市場においてはこの問題がクリアーされているわけですよね。驚いたことに。瞬間最大風速とかでたまたまお金を儲けられた、とかではなくて、「ゲームが強い」というだけで定期的に実入りがあるなんてことが驚かざるをえないということが一つ。

**実際のやりとり [#xa4e45d5]

# hiyokoya 『どうも、はじめまして、メルマガ毎回読ませていただいております。プロゲーマーが安定した収入を稼ぐというのはすごいことですね。
先日の記事にアメリカもプロゲーマーを擁する、とありましたが、アメリカのほうでも、プロゲーマーとしてある程度安定した収入を稼ぐ人々がいるのでしょうか?』

# GIFT 坂田 『はじめまして、hiyokoyaさん、メルマガ読んでいただいているそうで感激です。ありがとうございます!

アメリカのほうでもプロゲーマーは盛んなようですね。この記事は、アメリカのプロゲーマーの実態について詳しくかかれてますよ。私もアメリカのプロゲーマーの収入については、わからないのですが、これを見る限りだと貧富の差が拡大しているようですね。

アメリカでのプロゲーマーの実態(2003年)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20030904201.html

また、最近では年収2500万円以上稼ぐプロゲーマーも現れたみたいで、今後注目ですね。

最近のプロゲーマーの傾向について(2004年)
http://www.rbbtoday.com/news/20041101/19382.html

余談なんですが、2001年には、韓国でプロゲーマーの大会をたくさん運営していたバトルトップが、日本に設立されて盛り上がりました。でも、なぜかバトルトップジャパンはその後見る影もなく、現在はサイトも消えてしまったようですね・・・。もう少しこの会社ががんばってくれていれば、日本にもプロゲーマーが定着したかもしれないのですが。』

# hiyokoya 『お返事ありがとうございます^^
『ダンジョンズ&ドリーマーズ』とかの本でも、アメリカではプロゲーマーが出てきている、という話を聞いたのですが、色々と読んでみる限り、そこまで収入が安定している、といったイメージでもないですね。でも、その収入はうらやましい…

>日本のプロゲーマー

80年代には、「名人」や「プロ」という売り出し方でライターをやったりイベントで出演したりして、高橋名人とか、田尻智とか、山下章とか、がんばっていた時期がありましたよね。
それが90年代になると、職業人的な認知のされ方ではなくて、単なるスタープレイヤーとなってしまって、スタープレイヤーとしての知名度をツテに業界に就職する方が多い、といったぐらいのところに落ち着いてしまった印象があります。
これって結局、バーチャにせよ、ストIIにせよ、海外のFPSブームよりも国内の競技人口を稼げなかったということなんですかね?あるいは、海外のように大会で賞金を出すスポンサー的な存在にとって、プロゲーマーを作り出すことに戦略的、経営的意義を感じていないとか?どうなんでしょうね。』

# GIFT 坂田 『たしかに、日本でもプロゲーマーの兆しみたいのがありましたね。hiyokoyaさんの日記でも取り上げていたように(すごい濃いページですね!!) ファミコンロッキーみたいな漫画が流行ったり、日本は昔からゲーマーがもてはやされていて、スト2シリーズとかバーチャ2あたりが頂点だったと思います。

でもこの日本式格闘ゲームは、あんまり海外に受けいられなかったように思うのです。海外のゲーマーはやはりRTSやFPSのほうが面白いと感じているみたいですよね。そしてなによりプロゲーマーを世界に広めた、韓国の対日本文化政策が影響していると思います。韓国では日本のゲームを遊べなかったのですから、必然的にパソコンゲームがスタンダードになったわけですし、そして韓国でe-sportsが非常に盛り上がったので、世界もそれに追随していったように思いますね。


>日本はプロゲーマーを作り出すことに戦略的、経営的意義を感じていない

日本のゲームメーカーの場合は、高橋名人のように広報の方が自社のゲームを売り出すためにゲーマーとして活躍していたことはありましたが、積極的にゲーマーを育成しようなんて考えてないですよね。個人的には、例えば任天堂やソニーやセガがプロゲーマーをかかえて、他社と対戦するようにしたら、面白いと思うのですが・・・。

日本の場合は朝の早い時間帯などに子供向けのゲーム番組がありますが、あれは面白くないと思うのです。むしろ、深夜枠とかで超真面目に大人向けにプロゲーマーの対戦番組などを作って、ゲームメーカーがプライドをかけて戦うようにしたら盛り上がると思うんですよね。
やっぱり、業界全体(任天堂やソニーがやってくれれば早いですが)がプロゲーマーを育てて、プロモーションに使っていこうという気がないとダメですね。そうすれば各社所属のプロゲーマーのオールスターチームを編成して、世界大会に挑戦したりなどできると思うのですが・・・・』

*この話の面白さをまとめなおしてみる [#t66376ed]

**ゲームプレイヤーの「身体」論として [#p50480e1]

(身体なんてマジックワードやめろやゴルァ!というつっこみには、いや、すみません。でもとりあえずということで。)

-ゲームコミック論とかぶりますが、スタープレイヤーにおいては、プレイヤーの身体そのものが憧れの対象だった時期、というのが「あらし」以降連綿としてあったということが面白い。
-高橋名人にいたっては、「スタープレイヤー」から「スタープレイヤー」への昇格(?)をはたしてしまったわけだし。

**イメージ変遷として [#w907ac0b]

-Gマシン問題のころは、「プロゲーマー」=準ヤクザ、というきわめてネガティブな何かでしかなかったわけだよね。それがさ、高橋名人によって「プロゲーマー」イメージの大きな更新が図られる。で、その後、ストIIやぷよぷよ、バーチャの王者たちは「マニアの頂点」という地位へと降格し、ゲームをやって「プロ」なわけじゃなく、ゲームライターをやることで「プロ」だったりするという事態に至っちゃってる。
-一方韓国に目を向けてみると、Gマシン問題どころではなく、ゲームを商売道具として使うことの問題が、なんだかいきつくところまでいっちゃってるわけだ。ネガティブな面としては、MMOROGにおけるRMT(Real Money Trade)の中で稼いじゃう連中もいれば、超ポジティブに「子供の憧れの職業第一位」としてe-sportsの団体の認めるプロゲーマーというような、Gマシンのころからは想像もつかなかったような「ゲームプレイをして暮らす人々」の一群が、社会的に大きな存在感を持って生息しはじめているのだ、という。この事態。ビックリしませんか?

*ref [#w65158f1]

-[[ゲーム各論/身体の分離という問題]] 
-高橋名人インタビュー http://www.vaio.sony.co.jp/Service/Game/Special/0402_meijin/
-韓国プロゲーマー http://d.hatena.ne.jp/GIFT/20041104