#文字の大きさは、ごく個人的に心に残っている度合いとか、やりこんだ度合い的なものとかです。自分や友人が制作に関わったものが大きくなっていたり、好きなクソゲーも大文字になってますので、いわゆる「評価点」とはあまり関係ありません。あんまり完璧につけてはいません。
#ボードゲーム等各種ゲームぜんぶ込み込みで入ってます。
作成者:井上明人 ver:2012年8月12日
主なテーマ(予定含む):ゲームという現象の認知モデルと形式モデル、勝利と適応について、物語とゲームについて、ゲームにおけるルールについて、パースの記号論とゲーム、ベンヤミンetc...
]]>瀬上:前に、米島さんがゲームの持つ価値を充分に認めつつも、「ゲームなんかやってられねぇ。」という発言をされました。ですが、米島さんも、僕も共にその価値を大きく認めざるを得ず、そしてそれについて語りを試みること自体が冒険的な魅力を持つ作品というのがいくつかあると思うのですね。その一つは間違いなく『ICO』だと思います。
]]>にて
井上明人「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか―」PDF
が掲載されました。
ゲーム/遊びの定義論や、概念モデルについてご興味のある方には、ご笑覧いただければ幸いです。
]]>「ゲーム作りの文化のために―独立系デベロップメントシーンの比較試論―」
http://www.critiqueofgames.net/data/presentation/for_independent_development_for_web.pdf
私のは、他のシーンとの比較というような話にしてありますので、同人ゲームそのものについての扱いはそこまで大きくありません。(たぶん、当日会場にきていた聴衆の方のほうがよっぽど同人シーンについては詳しい。)
ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。
]]>井上:秋葉原通り魔事件の翌日に書かれた、complexequitlyさんの記事の主張をまとめるとこういうことですね。
ジャーナリズムにおけるプロ/アマの融解だとか、ヌルいことを言っているんじゃない。プロもアマもまとめて「報道」という概念事態が揺るがされている。ライフログと報道の融解のほうがより大きな問題なのだ、と。そして、今回の悲劇は、ライフログをめぐる行為や、解釈をめぐって幾重にも錯綜した事態が展開していた。そして、犯人も、犯人をめぐる社会システム――新聞、ワイドショー、ネット論壇、携帯からアクセスする匿名掲示板、ライフログ――も、全てがそれに巻き込まれている。complexequalityさんの指摘はそういうことですね。
もちろん、永山則夫事件の現代版としての性質も見いだせるだろうし、要因はもちろん複合的だろうし、色々なところに重みは見いだせるだろうけれども、complexequalityさんにとって衝撃だったのはそこだった、と。
事件に哀悼の意を表します。
昨日の昼に、悲惨で、かなしく、かつ人ごとではない事件が秋葉原で起こったことについて書いておく。
]]>オブリゲーションもありますが、参加の意志のある方はご連絡ください。
]]>瀬上:うーん、もうちょっとメタ化、一般化しておきたい、というか後につながる話にしたいですね。
ここで、『セクシーボイスアンドロボ』の話まで戻すと、マンガ的な「キャラ」のリアリティについては、『のだめ』は申し分なくやってくれたわけで、これは、『セクシーボイスアンドロボ』では多分難しいだろうとか、そういう話もできる気がします。
一番最初の議論で、『セクシーボイスアンドロボ』の主人公は、英雄と少女の間を往復する、という話がありました。あれがつまりキャラ/キャラクターを往復する、ということともしかしたら位置づけられるかもしれない。だから、『セクシーボイスアンドロボ』がもし上手くテレビドラマとして作り得るとすれば、ニコのヒーロー的な活躍にフォーカスを当てていく、ということになるのではないか、とか、そういうことが言えそうです。
米島:そもそもメディアミックスだの、タイアップだのと言われている作品というのは常にこういう問題はあるわけだよね。同じく漫画の例で言うと『ピンポン』の映画化は松本大洋の原作と比べると著しく見劣りするものしかできなかったし、『NANA』の映画も妙に日本映画的な時間の作り方をする一方で作品にすりよったりして、よく言えば折衷。悪く言えば中途半端なわけのわからないものになっていた。『ドラゴンヘッド』に至っては完全にB級映画に墜ちていて、あれはほとんどギャグに近かった。漫画よりも先に映画を見てしまった人は、悲劇だよね。
瀬上:映画の話はテレビドラマの話とはだいぶ違う気がします。そもそもモニターと観客の間を織りなす関係性が大きく違うので、そこは区別する必要があると思います。
それはさておき話をテレビドラマに戻して、2006年度に大ヒットした『のだめカンタービレ』のドラマ化について中心的に話をしたいと思うのですが、あれにはどういう感想を抱きましたか。
米島:あれは別格。あれはよかったよ。漫画からドラマへと容れ物を変えながらも上手く成功した例でしょう。もちろん、原作と比べるとある程度は別のものにはなっていたけれども、作品内容自体よりも、メディア間をまたぐということの問題を死ぬほどよく考えて作られてるということに感動してしまったね。
典型的なのは、知り合いの女性の「マンガとほとんど同じで驚いた。素晴らしかった。」という感想を口にしてたけれど、こういう実感を引き出せる作品になってるわけだよね。
瀬上:こんばんわ。
黒田硫黄の傑作『セクシーボイスアンドロボ』が今年(2007年)の4月10日から、日テレのドラマになるそうです。今日は、それを記念して放映前に一つメディア間の表現の違いとかそういう話について、だらだらと話をしたいと思います。
米島:どうも、おばんです。まー、いきなり身も蓋もない結論から言うと、ぶっちゃけドラマ化とか、ほとんど期待してないつーか、だめなんじゃないかと思うけれどね。オレは、基本的には実写化否定派よ?『のだめ』とかは例外的によかったけれど、『セクシーボイスアンドロボ』はムリっしょ。予言しよう。もちろん、原作が傑作、という点は瀬上くんと同意見だとしても、ね。
瀬上:うーん、大なり小なりそういう感想は僕も抱くかもしれませんが、そういう予言は僕は保留しておく側に立ちたいと思います。
それとこの話のあと、メディア間の横断ということでいうと『セクシーボイスアンドロボ』だけでなく、2006年に大ヒットした『のだめカンタービレ』の話もしていきたいと思います。また、『ひぐらしのなく頃に』『サクラ大戦』『メタルギアソリッド』なんかの話もできればと思っています。宜しくお願いします。
さて、とりあえずは、話のきっかけとして、去年書いた『セクシーボイスアンドロボ』について書いた評論がありますので、これネタにすることから話をはじめたいと思います。
以下がその評論になります。
DiGRA Japanを運営母体として開催される、コンピュータ・ゲームの国際学会 DiGRA 2007では、現在論文を募集しています。
締切りは3月1日まで。
英語で2500word~6000word程度。
詳細はhttp://www.digra2007.jp/を参照のこと。
コンピュータ・ゲームに関する研究組織は現在では数多くありますが、DiGRA(デジタルゲーム学会)が2年に一度開催する、DiGRA 2007は中でも特に重要なものとなっています。DiGRA 2007は、DiGRA Japanを運営母体としており、今年の9月に東大での開催が予定されています。
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