Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/

*ゲーム的な時間 [#va108246]

 また、ゲームにはゲーム特有の時間が流れている、という指摘はたとえば、ジェレミー リフキン(([[タイムウォーズ―時間意識の第四の革命:http://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA%E2%80%95%E6%99%82%E9%96%93%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E3%81%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%BC-%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%AD%E3%83%B3/dp/4152033886]]))などによっても指摘されているが、では「ゲーム特有の時間」とは何か。
 「ゲーム」の様態が多様であるのと同様、「ゲーム特有の時間」にも様々なものがある。

*物語にとっての時間 [#e89e6e31]

「時間」がいかにして構成されるか、という問題は「物語」にとって重要な問題となってきた。そもそも、「物語」という経験は、「時間」と不可分である。

 アシュタサポテの「[[観測、指し示し、時間性:http://astazapote.com/archives/200012.html]]」(林[2002])や、ゲームを語ろうの「[[ゲームはいかにして物語となるか:http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/sawa/nrt2/1.html]]」などを参照。

*死と代替不可能性 [#e2fe792f]

 時間は、時間を投入されたものに対して、代替不可能性を用意する。([[賭けられているもの]]参照)
 たとえば、そういう話をあからさまにやっている話の一つは『ひぐらしのなく頃に』である。ネタバレになるが(以下、反転すること)


*死と静謐 [#p21940d1]

 たとえば
 



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-記事[[:井上明人]]
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