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*分類 [#kf5df4e3]
ゲームにおける物語の類型分類は様々なものが提出されており、どのような観点から「物語」の分類を提出するかによって、その分類の仕方も当然多様になるが、「物語展開」の類型化をするならば以下のようなものが考えられる
-(1)一本道のシナリオ(一般的なDQ、FF等のRPG。用意されたシナリオが一本だけ存在し、それをたどっていく。)
-(2)マルチシナリオ(サウンドノベルなど。あらかじめ用意された複数のシナリオのうちの一本を選択する)
-(3)フリーシナリオ(ロマンシング・サガなど。複数用意された物語要素1、物語要素2…物語要素Nをプレイヤーがつないでいくことで、組み合わせの数が無限個に近くなる。開発者が細かく物語展開を管理できないため、ややちぐはぐな展開になりやすい)
-(4)シミュレーション(ガンパレードマーチや、シムピープルなど。用意された物語がほとんど存在せず、ゲーム中に存在する箱庭的な世界の中でほぼ無限に近いパターンの物語が展開されることになる。)
また、一本道のシナリオを、「映画や小説と変わらない」という人もいるがそんなことはない。確かに大枠の話が一通りしかない、という点では、同じようなものだといえるが、ゲームの中にあらかじめフォーマットとして焼き付けられた「物語イベント」のテキストやムービーのデータの他にも、戦闘や街の人との会話といった部分は選択的/偶然的に行われており、そういった形での「体験」というあり方が存在するという点では、映画や小説とは別モノである、という言い方をすることができる。
*自動生成の可能性と問題 [#s9d59037]
物語が成立するためには、因果関係について物語の聞き手/読み手が想起可能であることが必要条件である。
フリーシナリオと言われるシステムや、シミュレーションゲームは基本的には物語の成立している背景を想像するエネルギーを読み手に任せてしまうものだが、成功しやすいものと成功しにくいものがある。
たとえば、『シムピープル』と『エヴァンゲリオン2』は比較的似たシステムを持つが、前者と後者では後者のほうが物語を成立させるための設定が細かかったにもかかわらず、違和感/ちぐはぐ感の残るものとなっていた。
なぜか。
理由は簡単で、設定がいろいろとあるとなると、展開の自由度に限界が生じるからである。設定がいろいろあるということは、展開A→B→Cということはよくても、展開C→A→Dだと齟齬が生じてくるようなケースをしばしば引き起こす。AがBの前提条件であり、BがCの前提条件であるというような場合に、Cを無視してAが起こったり、Aを無視してCが起こったりすれば因果の順序は目に見えて破綻してしまう。
一方、設定がほとんど語られなければ、そういうややこしい自体は消える。そのぶん何をやっているのかさっぱりわからなくもなるが、破綻するためのバグフィックスをする必要もなくなり、ある程度違和感のないものが生成可能になる。『シムピープル』はそもそも、「家」というきわめて狭い空間から出ることがない。それゆえに、意味関係がすべて「家」という狭い空間の、狭い関連づけのみで処理可能なのである。
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-記事[[:井上明人]]
-カテゴリ[[:概念]]