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ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/

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2004年10月11日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

ファミ通1994-2004

 ヤフオク経由で、1994年~現在までの、ファミ通を10年分仕入れました。

 とりあえず、部屋がものすごい状態になってしまっているんですが、ファミ通10年分を使って、何か調べて欲しい要望などあればコメント欄にどうぞ。

 (実現可能かどうかはさておき。)

2004年10月10日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(3)

このセリフには驚いた。

「ど、どうなってんだ!?

コインばっかりでキノコがでない…。」

「ばかめ!

スーパーマリオは裏技とかくれキャラの集大成ゲーム。

すべてをしりつくしたこのおれの腕を見るがいい!!」

以上は1985年からコロコロコミックに連載されていた『ファミコンロッキー』三巻、P139からの引用である。

このセリフは、ゲームファンなら絶対に驚いていいセリフの一つだと思う。今でこそ、スーパーマリオといえば、ゲームの中のゲーム。伝統の中心に位置してキングの位置を占めているといってもいいような作品だが、当時でいえば、そのような「伝統」はあたりまえのようになかったわけだ。

85年から流行しはじめた「裏技」と「隠れキャラ」というブーム*1にのった最先端。伝統を踏まえた何かだったり、「ゲームの面白さの普遍性」とかといったものを踏まえたものとして語られるものではなくて、その時代的特殊性を強烈に孕んだ、普遍性とは全く逆の立場から語られている。

*1:雑誌コンプティークの86年1月号で、「今の裏技ブームを作ったのはコンプティークだ!」とかってことを言っているが本当だろうか?

2004年10月07日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(2) シミュレーションゲーム つづき

(6日からの続き)

 「シミュレーションゲーム」というジャンルが日本のビデオゲーム雑誌などに数多く登場するようになるのは、1983年のことだ。そもそも、82年、83年ごろというのがマイコン雑誌から独立する形で数多くのゲーム専門誌が登場する*1ので、日本ではそれまでそういった言葉が使われるメディア自体があまりメジャーな形で存在していなかった。当時には「シミュレーションゲーム」のみならず、アクションゲーム、アドベンチャーゲーム、RPGといった、他のジャンルもいっせいに登場してきている。

 1983年10月1日発行の『パソコンゲームランキングブック』*2によれば、「シミュレーションゲーム」のサブジャンルとして当初含まれていたのは、『森田のバトルフィールド』『空中戦』『198X』といった「ウォーゲームタイプ」、『ランデブー』などの「トラベラータイプ」、『投資ゲーム』などの「マネータイプゲーム」、『信長の野望』『マリアナ海戦』『スラバヤ沖海戦』などの「歴史スペクタクルタイプ」、そして、『ホイホイ』『選挙』などが「ETC」として括られている。

 なお、「シミュレーション」という括られ方をうろうろとしていたものとしてはスポーツゲームやフライトシミュレーションがある。これらは、アクションのサブジャンルとして括られるか、シミュレーションのサブジャンルとして括られるか、あるいは独立した別ジャンルとして括られるかを長い時期うろうろとし、スポーツゲームは独自ジャンルとして見られることが多くなったものの、フライトシミュレーションはいまだに括り方は一定していない。*3

(現在編集中)

*1:創刊はそれぞれ「ログイン」1982年5月、「マイコンBASICマガジン」1982年7月、「アミューズメントライフ」83年、「コンプティーク」83年 、「POPCOM」83年5月 などといった具合である。これより古いものとしては、「ゲームマシン」誌(http://www.ampress.co.jp/index.htm)が、1974年から、「I/O」が76年12月から、「月刊アスキー」が1977年7月からあるが、82年、83年頃に、マイコンゲーム、パソコンゲームの雑誌が大量に出てくるのと同時に、「I/O」誌などでも、「アクション」や「アドベンチャー」といった言葉を使うようになっていったようだ

*2:旺文社刊。宣伝広告に、「9月30日が応募締め切り!」とかかれていたりするので、実際の発売は8月とか9月だったと思われる。なお、トリビアだが、当時大学文学部の4年生だった、浜村弘一も本書にライターとして加わっていて、APPLEのゲームを絶賛したりしている。

*3:84年末に出た、「Beep」創刊号((発行の日付は、85年1月)を見ると「今年最大のシミュレーション『野球狂』なんてったってこのハドソンからでた『野球狂』はすごい!!」(P133)という読者投稿があるかと思えば、ベストヒット21のコーナー(P162)では、『野球狂』のジャンルはアクションになっている。4年後の「Beep」89年1月号のNewReleaseScrambleのコーナー(P11)では、『ベースボールスター』がまだ「SLG」として紹介されている。

2004年10月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(2) シミュレーションゲーム

 とある、2chネラーの先輩に聞いた話、2chでは「光栄のゲームのシミュレーションじゃない」とかっていう議論がちょこちょことあるらしい。

 それっていうのはつまり、「シミュレーション」という言葉のイメージの源泉をどのようなところに求めるのか、という話で、2chにおける「光栄≠シミュレーション」の議論の構図というのは、基本的には「シミュレーション」という言葉のイメージを物理シミュレーターのようなものに求めたり、歴史の再現性といった水準に置いているから、といった要因らしく、検索してみると、こんな言葉が見つかる。

221 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 2001/04/22(日) 02:48

同じゲームシステム歴史を再現することもゲームすることも

出来なきゃシミュレーションじゃない

2通りの楽しみが出来なきゃしょうがない。

あとさ、変にルーチンに任せッきりだからcomが

歴史通りに動かないのがイタイ。

日本語として意味が取りずらいところもあるが、まあ、つまり「歴史を再現すべき」という話だ。光栄シミュレーションについてはそんなに深く興味を持っていなかったので、知らなかったが、まあ、出てきそうな話ではある。

で、それに対して、一般的に「ゲームはシミュレーションじゃない」的な言い方というのも、ゲームデザインなどの分野ではかなり定着した物言いになってきているような気がする。ウェブ上で読めるもので、かつ、かなり古いものとしては1982年に書かれた、クロフォードのゲームデザイン論にも見ることができる。

シミュレーションは、実際に起きる現象をさまざまなパラメータを用いて精密に表現しようとする。一方、ゲームでは、その現象をできるだけシンプルに表現しようとするのだ。シミュレーションの研究者は、あまりに複雑で計算が追いつかないとか、現象がややこしすぎて理解できないという場合に、仕方なしに現象の単純化を行う。それに対して、ゲームデザイナーはデザイナー自身が一番大事だと思っているパラメータにプレイヤーの意識を集中させるために、喜んで現象を単純化するのである。両者の目的には明確な差があるのだ。シミュレーションは、何かを計算したり評価したりするために行われるのに対して、ゲームは娯楽のため、そして何かを教育するために行われるのである

(第一章 ゲームとは何か >> 世界の再現 >> ゲームとシミュレーションの違い)

 この議論は、基本的には、現在までずっと継続して受け継がれてきている節があり、今年度に刊行された出版物などの中にも発見することができる、ごくベーシックな言い方だろうし、この立場は非常に明解だ。限られたスペック、トークン、時間、ルールなどを動因して行う娯楽としての、ゲームデザイナーがゲームに対してシミュレーターとしての重要性を求めすぎると破綻してしまうというのはひとまずは納得できる議論だ。

 だが、だからといって、ユーザーからの「歴史の再現」というニーズを全否定できるか、といえば、そういうわけにもいかない。ゲームデザイン的な都合という観点と、ユーザーの要望は分けて考えられる問題だし、一ユーザーの願望としてはよくわかるし、無視するわけにもいかないのが「シミュレーション」と「(娯楽としての)ゲーム」を混ぜ合わせてしまった「シミュレーションゲーム」というジャンルの抱える困難さだろう。

 さて、80年代に刊行されていたボードゲームのウォーシミュレーションゲーマーのためのゲーム評論誌「SIMULATOR」12号(1984年9月25日発行)*1で、シミュレーションゲームのゲームデザイナーである黒田幸弘氏が面白い議論をしている。

 まず、黒田氏は、「シミュレーションゲーム界の区分」として、「昔からシミュレーションゲーム界の区分というとシミュレーション派とゲーム派というのが有力でした」と紹介しつつ、日本ではその二分類を用いずに(1)ゲーム派(2)歴史派(3)データ派 という三分類を提示して、それぞれを以下のように整理する。(P13)

で、この3派の情勢はどうなっているか。歴史派とデータ派、これのほうがですね、一般の文章表現においては、強いんです。なぜかというと、歴史派とデータ派は極論なんですよ。はっきり言って、無茶苦茶いえるわけです。歴史派だったら、歴史通りやればいいんだと、その他は全て邪道だ。データ派だったら、データが正しければいいんだと、他は邪道だと。マルクス主義が今でも生き残っているように、極論というのは思想に対してインパクトがすごく強いんです。それに対してゲーム派は、ゲームとしておもしろければいいじゃないかと、いじけるわけですよね。(笑声)

 この後の細かい議論については割愛する*2が、シミュレーションとしてのリアリティの水準が「歴史派」と「データ派」といった形で多層化していることを分析していることに加えて、「ゲーム派」をも極論として囲い込んでしまっている点が、この分類は面白い。

(つづく)

*1:現在も活躍中の鈴木銀一郎氏などが議論に加わっており、当時「国産のシミュレーションゲームが発表されてから約3年」と話している。日本ではこの界隈もTVゲームと同様に80年代という同時期に勃興してきたものだというのが面白い。なお、ISBNコードとかプリントされてないので、国会図書館でも置いてあるかどうかどうかわかりません。

*2:この後の議論はちょっと微妙な話の展開になるが、さらに細かく、三派に対しての反論が加わっていく。「歴史派」に対しては「シミュレーションが最終結果を固定してしまったらシミュレーションではない」、「データ派」に対しては、データ派が言っているデータとは公式発表の矛盾だらけの数字に過ぎず、実際には雰囲気を再現するために必要な根本データに何をとったらいいのかなどわからない、という話をしている。そして、黒田氏の属するレックカンパニーについて言及し「今やっているシミュレーションゲームはほとんど戦争をテーマにしています。戦争の目的とは何か。歴史の追体験ではありません。勝つことです。とすれば、レックカンパニーは正しいゲームをつくっているのではないかということなんです」と説明する。反論はまだしも、この説明はちょっと強引。

2004年10月05日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

ロスト・イン・ラマンチャ

ロスト・イン・ラ・マンチャ

テリー・ギリアムが、『ドン・キホーテ』を撮ろうと奮闘して、まさにドン・キホーテのごとく映画制作が失敗に終わるまでのドキュメンタリー映画。テリー・ギリアムほどの実績のある人でもこういう失敗に陥るものなのかと、自分もうまくいっていないときなどにみると、ある意味励まされてしまう内容。

ただ、これを見る限り、この映画製作の失敗は、(1)単に不運な要素があまりにも多かったこと(2)そして、代替案を受け入れるだけの低い妥協ラインを設定していなかったこと、という二つの要素が主であり、テリー・ギリアム自身は立派にプロジェクト管理のできる人だったという印象を受ける。

できれば、もうちょっと管理能力があるのかどうか、微妙なぐらいのラインの人のドキュメンタリーを見てみたいなあ。ヘタレな我々の参考にもなる程度の。

2004年10月03日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

シェンムーオンライン

シェンムーオンラインが出るらしいとのこと。

http://www.rbbtoday.com/news/20040804/17891.html

道端を通行しつつ、いきなり革ジャンの兄ちゃんに質問されて「ちょ…ちょっと、急いでるんで…、後にしてくれませんかね。」とか不気味に答えてみたい。

そんなダメダメなNPC気分を満喫できるMMORPGを希望。