実践女子大学 情報リテラシー1 (担当:井上明人)

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/

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2011年04月09日

授業開始にあたって読んでおいてもらいたいこと

 下記に本授業を受講する上でのこころがまえ!…的なものを述べます。なお、大学(実践女子大)との考え方とは必ずしも一致しない点もありますのでご了承ください。


授業においてもっとも重要なことはみなさんが効率的に手を動かして理解できるかどうか、です。おとなしい子である必要はありません。わからなければ周囲に聞いて下さい。

 うるさくなりすぎない範囲での私語はOKですので、わからなかったら近くの人にばんばん聞いてください。
 この授業は、一般的な講義の授業ではなく、どちらかと言えば体育や音楽のような授業に近い性質をもつものだと考えて下さい。知識だけでなく、実際にできるかどうか、がとても重要です。
 実際にできるか、どうかということについて40人のかかえる問題は各人ばらばらです。ばらばらにもかかわらず、授業担当者は1人しかいません。可能な限りでフォローできるように努力しますが、一人がフォローしきるのはどう考えても無理です。授業担当者は万能とはほど遠い存在です。ですので、周囲の人を助けたり、助けられたりしながら授業をすすめていきます。
 ただし、個人個人が学びやすい環境を追求して話をしすぎたために、クラス全体がうるさくなりすぎて授業がまともに行えない、ということだと誰にとっても幸せではありません。うるさくなりすぎたら「もう少し静かにして下さい」とお願いします。「私語厳禁」でもないですし、「うるさくしてOK」ということでもありません。全員にとって、もっともよいバランスが重要だと思っています。ですので、声の大きすぎる人はなるべく小声でよろしくおねがいしますね。
 一人でまごついてしまったら、周囲の人に聞いて下さい。おとなしい「いい子」をやっていたら、何もわからなかった…というのは意味がありません。

2
教えることと教えられることの関係は、たまたま少し先に学んだ人間が、後で学ぼうとする人間を教えているにすぎません。思うところがあれば、直接、指摘してください。

 繰り返しますが、授業担当者は万能でもないし、偉い人でもありません。なにか問題があれば、直接指摘してください。
 受講する上で、何か大きな問題や不満が生じた場合や、授業で間違ったことを述べていると思えた場合は、「教える側の人間のくせに馬鹿なことを言っているな」と思うだけでなく、ぜひ、そのことを教えてください。学ぶ内容によっては、学生のみなさんのほうが詳しいことはいくらでもあります
 私の出身校では、「半学半教」ということを言っていました。半学半教とは学問を先に学んだ者は、後から学ぶ者に教え、自分自身はさらに前を行く者から学ぶという考え方です。つまり、「教えながら学ぶ。学びながら教える」「今日の先生は、明日は学生」「今日の学生は、明日は先生」「教員も学生も、常に半分は教えて、半分は学びつづける存在である」ということです。まあ、部活の部長程度のものだと考えてもらえればよいのか、と思います。大学とは私にとってはそういうものです。
 私はあまり母校愛などのある人間ではありませんが、この言葉だけは比較的好きでした。もっとも、この大学は私の出身校ではありませんので、この大学のポリシーは少し違います。ですが、私の授業はこのポリシーでやらせていただければと思います。わがままを言ってすみませんが、ご了解いただければ、嬉しいです。

 たとえば、昨年までで本授業に対する授業評価での不満として「進度が速すぎてついていけない。」というものがありました…が、匿名で不満を述べられても、正直こちらとしても「えっ、授業ぜんぶ終わった段階で言われても…対応むり…言ってくれればよかったのに…」という気分になりました。こういうのは、途中段階で話し合いながら、解決をはかりたいと思います。
 むろん、あまりに身勝手なお願いや、受け入れがたい批判をされれば、それはそれで困ってしまいますが、すくなくとも「学生風情が、偉そうに意見を述べるんじゃない!」的な反応を示すことは、まずありませんので、直接言ってもらえると助かります。
 よくもらう意見としては、喋り方が聞き取りづらい、という指摘はよく受けます。「今日は、いつもに増して、言ってることを聞き取りづらかったですよ…」みたいなことは、毎週の課題提出時のメールとかでどんどん書いてくれれば助かります。

3
授業担当者を「もっと」饒舌にさせるために、みなさんも工夫をしてみてください。

 大学教員のなかには、学生をばかにしている人間も少なくありません。
 大学教員が、いまいる学生をばかにしているような授業では、教員もやる気が出ないことが多いですし、学生の側もつまらない授業をうけさせられるし、いいことがありません。
 これは、大学偏差値の問題ではありません。さる高名な学者は、スタンフォードの学部生に教える授業でも、ハーバードの学部生に教える授業であっても、基礎知識がなく受動的な学生を相手にするのは苦痛だ、ということを漏らしていました。
 一方で、大学の受験偏差値が高かろうが低かろうが、授業担当者に対して気付きを与えてくれるような鋭い指摘をしてくれる学生は、授業担当者のモチベーションを大きく高めます。

 私は、学生がばかだと思ってはいませんが、授業が苦痛になりうる、ということはやはりあります。頑張って授業をやっても、何も反応が返ってこない時というのは、ギャグが滑った時の芸人の寒さみたいなものに近い苦痛があります。みなさんからの反応が何もないと、授業担当者はギャグを滑り続けさせている芸人のような気持ちを味わっている気分になるわけです。これはとても苦痛です。特に大学の研究者というのは、高校までの教員とちがって「自分の考えたネタ」で勝負をしている人がほとんどです。「自分の考えたネタ」で勝負している人であればあるほど、反応がないことを悲しみます。
 この「反応がない」とき、大学教員はその理由を「学生がばかだからだ」と考えてしまうことがよくあります。それは正しくない考え方だと思いますが、「反応のなさ」を苦痛に感じる大学教員の気持ちは知っておいてください。
 もちろん、大学の教員側にも面白くする努力が足りないかもしれません。しかし、大学の難しいところは万人向けの面白さではなく、少しマニア向けの面白さを扱っているところです。

 ちなみに、この授業の担当者がもっとも興味があることは、あそびやゲームについての研究です。なので、この授業自体も、授業担当者のそういった興味によりそう形で、あそびやゲームの考え方を授業のなかにどのように取り入れることができるか、といったことを考えながら展開されていきます。ただし、まだまだ授業の構成自体を常に工夫しながらやっています。
 授業担当者は、みなさんの興味関心がどこにあるのか、どうすれば面白いと思ってもらえるのかが十分にはわからないので、いつもある程度困っています。
 「こうすれば、もっと面白く、わかりやすくなるのに。わかってないわね…!」的なことを思ったら、なるべくはやく、たくさん指摘してもらえると授業担当者はよろこびます。あるいは、面白いことを言ったな、と思ったら興味深そうに頷いたりしてみてあげてください。それは、アウェイな舞台で、困っている新人芸人さんの舞台で「笑ってあげる」ことと同じような効果をもちます。

***

 とりあえず、ご理解しておいていただきたいことは以上です。
 みなさんに助けていただくことで、授業は成り立ちます。
 「学んでやろう」という気持ちと、授業担当者を「助けてやろう」と思う気持ちの、両方をもって授業にむかってもらえると、授業がよいものにできるのではないか、と思っています。
 
 ご理解しておいていただきたいことは、以上です。
 まだまだ未熟なところが多い担当者ですが、何卒よろしくお願い致します。