Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 コンピュータ・ゲーム、あるいは遊びをめぐる批判の一つとして、人間の自覚的な選択、責任といった範疇の外側の領域に拡がる、「イリンクス(目眩)」をめぐるものがある。それは、カイヨワにおいても次のように懸念されている。

「なにか魅惑的なものに引きつけられることをすべて眩暈と名付けねばならないが、その最初の作用は、不意に生存本能を襲ってそれを麻痺させることである。その結果人間は自らの破滅に向かって引きずられ、自分自身の滅亡の幻影ヴィジョンそのものの働きから、恐怖によって彼を誘惑しようとする牽引力に逆らうまいという信念のようなものをいだく。この強い牽引の力は、否(ノン)と言うための力を奪ってしまうが、よく考えてみれば、この拒否の力の中にこそ、理解力のある思考の土台と自由な決断の基礎とが同時に認められるのである。[中略]眩暈はまずもって人間の自律性を破壊する

(ロジェ・カイヨワ『本能』p.55、強調部分筆者)。

 このような観点から、イリンクスを批判的を検討していくことが、ゲームの悪影響論を考えていく上での争点になっていく。
 ここで何点か確認しておこう。

  • イリンクス=ゲーム、遊びの全てか。
    • イリンクスへの批判とは「ゲームや遊びに関わることによって全ての人々が判断能力を失う」という批判とは必ずしも一致しない。カイヨワも挙げている通り、「遊び」の楽しみとは、多元的なものである。ミミクリ(模擬)、アレア(賭け)、アゴン(競争)、などの様々な要素がある中でその一つとしてイリンクスは存在しているに過ぎない。
  • イリンクス=善悪を問えるか
    • イリンクス」という領域の特徴は、それが良くも悪くも意識的な思考や判断力の外側に位置するものだ、ということである。それゆえに、イリンクス自体が悪か善か、といった問いはある意味でナンセンスである。悪を選び取るわけでもなく、善を選び取るわけでもなく、「判断せずに選び取ってしまうようになる」ものである。それゆえ、そこには、責任を引き受けるべき主体の「選択」というような行為を見て取ることは難しくなる。たとえば、快楽中枢を電気で刺激して操られているマウスのような生物について、マウス自体の責任を問うことは難しい。


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最終更新: 2008-06-25 (水) 13:15:41 (3259d)