哲学者ヴィトゲンシュタインの提唱した概念。 特にヴィトゲンシュタイン後期哲学におけるキーとなる概念。 以下は適当な説明なので、あまり信頼しないように。
言語というものは我々にとって制約であると同時に自由を与える存在である。我々の使用する言語(例えば日本語)の意味の制約の中でしか我々はものを考えることができないが、そもそも言語が与えられていなければ我々はものを考えたり伝えたりすることができない。言語はわれわれにとって道具であるが、同時にわれわれの思考の前提である。 言語は確固とした意味がそこに定まっているわけではなく、言語習得の過程などでは幼児は言語の確たる意味を受け取り学習するという形で言語を習得するのではなく、言葉をとりあえず教えられてその言葉を使う過程――「例えばこういう意味でこの言葉を言ってみてはどうだろう」などと考え様々な文脈で言葉を使用し、その時々にその言葉があっているかあっていないかを大人に諭される。意味使用の中、逸脱のゲームを試行する中で言語の意味がなんとなく決まっていく。 言語は、そうしたゲームの中で意味を編成されてゆく。 日本では、特定のジャーゴンを使ってワラワラとコミュニケーションをしている専門家集団を、軽蔑的に「特定の言語ゲームの中で生きている連中」というような言い方をしたりする。
特に「制約がなければ自由はない」というような発想はゲームにおける「ルール」と「自由」の関係性を捉えるのに的確だろう。
最終更新: 2007-02-17 (土) 20:46:04