鶴見俊輔が1960年代に提唱した概念。 鶴見は「芸術の発展」において、芸術概念を三つの層に区分けしてみせる。
- 純粋芸術(pure art):伝統的で確立された様式と権威を持つもの
- 大衆芸術(popular art):マスメディアによって複製され、産業資本によって商品化され、消費されるもの
- 限界芸術(marginal art):前二者よりもより広大な領域で、芸術と生活との境界線上に位置づけられるもの
水越伸[2002]は、ファミコンによって大衆化する以前の1980年代前半までのコンピュータ・ゲームのあり方にこうした「限界芸術」としての性質を見出している。
しかし、1980年代後半以後については、「テレビゲームでインタラクションを楽しんでいるのではなく、テレビゲームの商品価値を消費するというゲームを楽しいんでいる」とし、大衆娯楽化したものと断じる。さらに、こうした限界芸術から大衆娯楽へと変化する過程を「異化」⇔「日常化」、「体系(システム)」⇔「個立(スタンド・アローン)」という二本の軸によって水越は整理し、異化・個立の段階から、日常化・体系化へとメディアの遊具性が変容していく過程が、メディアの硬直化と普及の段階において観察できると論じる。
こうした水越の「メディア」と「遊具性」という変数の関連を観察していく視点はホイジンガ[1938]などの遊戯先行論/文化先行論といった議論とも関連している。
参考文献 †
- 鶴見俊輔「芸術の発展」『限界芸術』1976年、講談社学術文庫 9―82頁
- 水越伸 第一章「遊具のためのメディア」『新版 デジタル・メディア社会』岩波書店 52―89頁
- ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(原著)1938年、(邦訳)1973年 中公文庫
記事情報 †
最終更新: 2007-02-17 (土) 20:46:04