ゲームの成立要件としての自由 †
ゲームにとっての自由とは何か。
プレイヤーがゲームを行為する上で一定以上の自由が確保されていることがゲームの成立要件の一つであるとされる。 ただし、そのようなとらえ方は「自由意志」なる概念を前提にするのではないか、という批判もある。→自由な活動
「自由」の評価 †
社会科学においてだけでなく、あらゆる学問にとって「自由」という概念は大テーマの一つであり、気の遠くなるほど数多くの議論がなされてきた。
大胆に言ってみると、政治哲学・倫理学においては「自由」概念は、平等や幸福といった価値を支えるような「自由」が成立させるらるかどうかが問題とされる。そして、経済学などにおける「自由」は経済の安定性や、発展性といった価値を支える「自由」の成立を問題とする。こうした基準にしたがって、いかなる形の「自由」を設計し、いかなる形の「自由」を肯定するのか、ということが連綿と議論されてきた。
一方、コンピュータ・ゲームにおいて「自由」は、プレイヤーの楽しみという価値に寄与するかどうか、ということが論点となってきた。それが、1970年〜2000年までの傾向である。「自由度」という言葉はゲームを批評する上での重要なマジックワードの一つだが、この言葉が問題としてきたのは「そのゲームの用意する自由が楽しいか、楽しくないか」ということに集約される。 しかし、オンライン上の生活空間を用意するオンラインゲームの登場によって、ゲームをめぐる「自由」の問題はいきなりその幅を拡大する。オンライン上に一つの社会を形成する、オンラインゲームの世界では、プレイヤー同士の平等や、公正、そして経済的な収益性や安定性といった問題までもがゲームにとっての「自由」が扱うべきものとして登場してきた。 こうした状況野中で、オンラインゲームの経済を研究するEdward Castronovaや、山口浩などは、ゲーム内の経済メカニズムに言及すると同時に「楽しみ」の成立についても言及するような議論の構築が目指されている。
さらにオンラインゲームの系譜につらなりながらも「ゲームではない」ことを表明する『セカンドライフ』では、上記のようなオンラインゲーム世界における、政治/社会/経済的な自由の問題だけではない。プログラム自体の「自由」までもが議論の対象となるオープンソース運動や、ウェブ上のプラットフォームとしての注目も集められている。