Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 詩や文学が「言葉」という手段によって、世界を捉える仕方を提示するのと、同じように、ビデオゲームは、ゲームの「システム」という手段によって、世界を捉える仕方を提示することがある。

1.システマティックな世界理解

 たとえば、倫理的に推奨されるような行動をしなければシステム的にやっていけないようにうまく仕組まれた『伝説のオウガバトル』や、きちんとした生活をしていないと人間として腐っていくようなシステムになっている『シムピープル』をやってみれば、おそらくプレイヤーは「あー、やっぱり、こういうときは、こういう風にこういうしなきゃなー」とか「ああいるいる、こういう奴」みたいな理解をシステムを通じて獲得するはずである。
 こうした方向性をつきつめた議論として、ゲーミング・シミュレーション研究や、シリアス・ゲーム研究などがある。

2.日常世界の超越する想像力

 また、同時に、街の中を自在にスライディングする『ジェットセットラジオ』や、街の中の物体を自在にまきこめる『塊魂』のような作品の場合、現実を理解するシステム的な表現に納得するのとは逆に、現実の街を見たときに、新たな視点で妄想してながめるというような、現実の限界を補完するような世界解釈を獲得することになる。
 映画『マトリックス』シリーズでは、『バーチャファイター』『三国無双』などのゲーム経験を手だてとして、現実世界を超越した想像力を発揮することに成功している。

3.イデオロギー伝達装置

 近年では、ゲームはイデオロギーの伝達装置としても機能している。
 たとえば、イスラエル人を倒し傷ついたパレスチナ人を助けて回るFPS『UnderAsh?』や、アメリカにて共和党の税制政策を批判する『TaxInvader?』。そして、アメリカのナショナリズムを称揚する『フリーダム・ファイターズ』『スプリンターセル』『メダルオブオナー ライジングサン』などの数多くのFPSが存在しているのが現状である。
 ただ、シリアス・ゲーム研究において理論的支柱となっている、James Paul Geeは、こうした多様なイデオロギーを伝えるゲームが、複数同時に存在すること自体を知ることによって、マルチカルチュラルな世界理解に促す可能性がある、と肯定的な捉え方をしている。

4.世界理解の脱構築

 システムの中に深くコミットすることで、システムそのものの限界や欺瞞性を理解する、という形式のゲームも増えている。
 Ian Bogost[2006]は『Tax Invader』のようなゲームを「フレームを強化し/すり込むゲームでしかない」とした上で、監視社会を取り扱った『Vigilance』というゲームを取り上げている。このゲームでは、プレイヤーはちょっとした「ビッグ・ブラザー」となることが可能である。しかし、ビッグ・ブラザーとして街を監視するうちに、ビッグ・ブラザーとなっている自身の存在に違和感を覚えていくことが可能になる。
 また、澤野[1993]は、『女神転生2』における、「アクマを殺して平気なの?」「はい/いいえ」という選択をめぐって論を展開する。そして、「はい」あるいは「いいえ」を選ぶ内に、ゲームをプレイするプレイヤー自身の存在がいかに特殊なものであるか、ということを気づくような構造があることを指摘している。

参考文献

James Paul Gee"What Video Games Have to Teach Us About Learning and Literacy" 2004

Ian Bogost “Frame and Metaphor in Political Games” In Worlds in Play 邦訳:「ポリティカル・ゲームのフレームとメタファー」(『Inter Communication No.59 Winter 2007』所収)

澤野雅樹 1993「百戦錬磨の『殺戮者』へ」(『人はなぜゲームするか』洋泉社所収)


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最終更新: 2007-02-17 (土) 20:46:06 (3839d)