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前意識とは

 意識/無意識という概念の素朴な理解としては、「意識=現在、気づいているもの」「無意識=気づいていないもの」という二分類が一般的だが、認知科学や精神分析の分野では、その中間領域を注目する。フロイトは、この領域を指して「前意識」と呼んでいる。
 下條信輔[1999]はこれをサールの「中心」と「周辺」という区分によって説明している。

たとえば、転しながら哲学の問題を考えている状況を想像して下さい。考えに夢中になると、ほとんど意識しないうちに、あるいは転しているという自覚なしに、いつの間にか無事に家まで帰り着いている、ということがよく起こります。これは無意識に転したのではなく(そんな乱暴なことはできるわけがありません)転に必要な近くや記憶は意識の周辺にずっとあった、と考えられます。ただ「気づき」がなかっただけなのです。意識の周辺にあるものは全て無意識的、と言いたくなる誘惑にかられるかもしれませんが、やはり違います。というのも周辺にあるものは、その気になれば意識の中心に持ってくることができるからです(転の途中でふと「我にかえり」信号に注意を向ける、など)。(P190)

 一方、無意識とは、注意を凝らしたり、あるいは条件によっては意識化できるといったようなものではない。例えば、いくら理屈で言われても、同じ長さが違う長さに見えてしまったり、同じ色が違う色に見えてしまうような錯視の類などは、こうした「無意識」の性質によって構成される性質であると考えられる。

前意識の意識化という苦痛

 日常生活において半ば自動的にこなしてしまう行動(ex.通勤、通学)はゲームの中では省略されることが通例である。そのような行動は多くはプレイヤーに緊迫感をもたらすものではなく、ただの労働とみなされる場合が多い。プレイヤーにとってみれば、普段、前意識のレイヤーでルーチンワークとして処理しているために気にならない反復作業を、むりやりに意識化され「意識的に同じ作業の反復をしなければいけない」経験である。日常においては、通学や通勤といった行為の最中には、頭では別のことを考えていたり、本を読んでいたりするため、通勤や通学の時間に行われている反復作業は必ずしも苦痛を伴うものではないのだが、ゲームで通勤や通学を表現しようと思うと、「反復作業を意識的にやる」ことを強いられることになる。プレイヤーはいつも「どう動くか」という判断に頭を使っている時間が多く、ゲームをやりながら他のことに意識を向ける余裕が必然的に少なくなる。こうした理由から、ゲームの中で日常的なルーチンワークそのものは、表現される対象になるよりも省略されるケースのほうが多い。

ルーチンワークの悦楽

 だが、一方でルーチンワークを表現しようとする例外的な事例も数多く存在する。代表的なタイトルとしては『Grand Theft Auto 3』や『Sims』といったゲームが挙げられる。

  • GTA3:ルーチンワークを行為することの悦楽
    • Gonzalo Frascaは、Grand Theft Auto 3における車の移動が、ある種の日常的な作業二塁するものであると位置づけながらも、車の転をすること自体が楽しさを持ち得ているということを指摘している。ただしGTA3の転はあまり楽しくないという人も存在しており(たとえば、私は全然たのしくなかった)、車の転そのものが好きかどうかにも依存しているように思える。車の転の「楽しさ」をFrascaがわざわざ指摘しているのは、A.ルーチンワークとしての性質と、B.娯楽としての性質との二面性を備えた行為としての車の転、という行為が見いだされるということだろう。ルーチンワークは必ずしも、退屈でバラエティのないものだとは限らない。
  • Sims、FF12:ルーチンワークを設計することの悦楽
    • また、『Sims』も、ゲームキャラクター日常的な諸々の作業を表現したゲームであるが、それほど苦痛ではない。Simsでは、日常的な些末な作業が数多く表現されるが、日常的な些末なルーチンワークそのものはゲーム内のAIキャラクターが代行してくれる。その代わりに、プレイヤーは、ルーチンワークをAIキャラクターたちが行うためのアーキテクチャである家の構造や、目覚まし時計の時間などをセットする。こうした、前意識的行動を制御するアーキテクチャ・デザインにこそプレイヤーは注力することができる。
    • また、これに類するゲーム・デザインとして成功した例として、FF12の戦闘システムも同様の発想が行われている。RPGのレベル上げのような単調作業や、非常に熟練したゲームをやっているような場合は、あまり強く意識せずにコントローラーを動かしていることも多い。特にRPGにおけるレベル上げは「ゲームの中における退屈なルーチンワーク」の代表例だろう。FF12では、レベル上げをプレイヤーに「行為させる」のではなく、「設計させる」ものとした。実際の戦闘は、AIたちが行い、プレイヤーはAIの行為をデザインするだけでよいのだ。(この発想の萌芽は、DQ4のAI戦闘がバラエティを持ち始めたようなところからたどることができるだろう。)

 以上、数多くの行為の「反復」を前提とすることの多いゲームというメディアでは、日常的な前意識の領域に属するルーチンワークが表現しやすいといった特質すら見られる。

関連:→生活表現


参考:下條信輔,1999『<意識>とは何だろうか』講談社現代新書


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最終更新: 2008-08-21 (木) 15:59:58 (3344d)