サイト内検索で拾うためのはてなミラー。

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/

« Political Compass | メイン | 「からっぽの権威」化装置:ファミ通クロスレビュー »

2005年04月09日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

システム的に「良い」レビュアーの誕生

 少し話は変わるが、この一年ほどamazonでレビュアーをやってみてわかったことがある。ご存知のように、amazonの読者レビューには一つ一つのレビューについて、匿名の第三者がそのレビューが参考になったかどうかについて「はい」「いいえ」で投票することができる。そして、多くの人から「参考になるレビュー」として認められるレビューを書いていくと優秀なレビュアーとしてランキングされる。優秀なレビュアーとしてランキングされることは、amazonでレビューを書く人々の動機のひとつになっている。

 優秀なレビュアーとしてランキングに載るためには「参考になるレビュー」をどんどん書いていけばいいわけだが、それは裏返して言えば、読者から「不評を買わないレビュー」をしていくことに他ならない。このときにレビュアーとして効率的に評価されていくためには、「ファンの多い作品のファンに媚びを売る」のが一番いい戦略である。たとえば、一般的に人気の高い『One Piece』関連の書籍であれば、絶対に褒めたほうが「良いレビュアー」として評価されやすい。なぜならばそのレビューを閲覧して、レビューに対して「良い/悪い」を投票する人のほとんどが、One Pieceのファンである確立が高いからだ。間違ってもOne Pieceについて貶したり、高踏的に捉えられるようなレビューを書いてはいけない。レビューを閲覧する人々の中の90%ぐらいを(たぶん)占めるであろうOne Pieceのファン達からすれば、そのレビューは十中八九「参考にならないレビュー」である。One Pieceのファン達のほとんどはOne Pieceについての批判的な感想は求めていない*1。ファンの多いものなのだから、とにかく褒めておけば間違いない。

 逆に「アンチの多い作品」は「これはクソ」と言っておけばよい。そうすれば、「これはクソ」と思っている多くの人が「参考になるレビュー」だと認めてくれるはずである。ネットに常駐する人々の90%以上に批判しようとされるようなタイプの本を想定してみよう。仮に、『インターネットという麻薬~非行の温床としてパソコン文化~』とかいうタイトルの本があったとしてみる。タイトルからしていかにもダメっぽいが、意外にいい内容の本だったとしてもこの本について「参考になるレビュー」を書くために中身を読む必要はまったくない。手にとる必要もない。ネット上のほぼ全ての人々を敵にまわすようなタイトルである。この本については「どうしようもない本。誤解の嵐。」と一行書けば、それだけで十分である。ネット上のほとんどの人がその意見に賛同してくれる。アンチの多そうな本だと思ったら、貶しておけば大丈夫である。

 身も蓋もないことを言うようだが、周りの評価さえ気にすればよい。つまり「ファン」と「アンチ」の比率さえ気にすれば、自分で頭を使わなくてもいいのだ。「ファンの多い作品」をチョイスして、「素晴らしい」という評価を繰り返していくだけでも、おそらく「良いレビュアー」としてシステム上は集計されることになるだろう。実際にレビュアーとして「不評」であるという証拠はないわけだ。amazon的に「良いレビュアー」を目指すゲームとは、レビュアーが誰にも不評を買わないように保身に走るのことが一番効率的なゲームなのである。

 だが、少し冷静になって考えてみると、これは決して歓迎できる事態ではない。そのレビュアーは個々の商品レビューの参考としては、そのように「良いレビュアー」としていつの間にか機能しはじめるが、少し長期的なスパンでみるとそのようなレビュアーによって侵食されたレビューの集積は「沈黙の螺旋」*2ががっちり実現されただけだ。「ファンの多い本に批判を書いてはいけない」というゲームの勝利法に気づいたレビュアーたちばかりで、構成されたレビューシステムとは、「ファン」でない他者が沈黙しただけの場所になってしまう。

 そのような評価の集合を目の前にして、事情を知らなければ「これが世間の声か!」と勘違いすることも可能だが、事情をなんとなくわかってきた読者にとってみればそんなレビューは「高く評価するファンがいるかどうか」という情報以上の価値はない。レビューを一番熱心に読むファン層(あるいはアンチ層)から多少の賞賛を得られたとしても、「ちょっと興味を持った人」ぐらいの層からは単純に参考にならない。『One Piece』や『Final Fantasy』のファンが多い、ということがわかったとして、ファンでもなんでもない人にとっては何もうれしくない。

 今のファミ通はそのような「参考にならない」レビュー街道をまっしぐらである。浜村の言う「ユーザーと同じ気持ちになる」ということは、ユーザーでない人とは同じ気持ちにはなっていないということだ。

(あるいは、個別の商品レビューの場合でも、100%ファンしか買わないものならまだしも、40%のファンと60%のファンでない人が接する商品のレビューにおいては、そういう「ファンの声を重視する」戦略は完全に破綻するという問題もある。)

*1:言うまでもないが、One Pieceは例に出しただけである。別に、ハリーポッターでも、Narutoでもなんだっていい。ここではOne Piece自体の是非を言っているわけではない。

*2:というには大袈裟かもしれないが。「沈黙の螺旋」についてはhttp://www.socius.jp/info/clinical04.htmlを参照。一言でいうと、一つの意見で場が支配されているような雰囲気に圧されて将棋倒し式にみんな沈黙してしまうこと。