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2005年06月25日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

ゲーム性 訂正版

21日からの続きです。

hallyさんから、その記述はチョイマチ! とのご指摘があったので、「言葉の起源と流通」のところをけっこう長めに追加しました。

 主にビデオゲーム雑誌やゲームファンの間で日常的に使われる言葉だが、その定義ははっきりしない。

 一言で言うとすれば「そのゲームならではのおもしろさや醍醐味」程度の意味とでもいったらよいだろうか。

 特にこの言葉の用法として議論の俎上にのぼりやすいのは、ビデオゲームソフトを誉めたりけなしたりするときに使われるような「ゲーム性が高い/低い」「ゲーム性がない」などといったものいいである。言葉の定義が曖昧でありながらも、評価軸として決定的に重要なものとして作用する、という矛盾ゆえに多くの議論を呼びやすい言葉であるといえる。

  • 言葉の起源と流通

 言葉の起源からすると、そもそもからしてビデオゲームの言葉であったというわけではない。トランプやダーツなど各種の「ゲーム」が語られるようなところでいつのまにか使われていたような言葉だったようだ。

 厳密な時期がいつのことだかは判然としないが、「ゲーム」に「性」をつけただけの言葉なので、たぶんどこかの誰かがそれほど強く意識もせずなんとなく使った、というのがホントの最初のことだろうと思われる。

 ビデオゲームの登場以降ではビデオゲームの黎明期である1970年代後半にはすでに「ゲームマシン」誌などで使用されていた事例を発見することもできるが、その当時には現在のようなニュアンスが成立していた、という雰囲気ではない。

 「ゲームの面白さ」のような意味で使われたっぽい比較的初期の事例としては、たとえば「Beep」誌の1985年5月号「ゲーム評論家入門」のコーナーにて亜蘭仁氏が「プログラマータイプ」の評論家を「(評論の内容が)ゲーム性よりプログラミングのテクに傾きがちで、文章がぎこちなかったら、ほぼこのタイプと思って間違いはない。」と書いていたりするのがかなり初期のものだろうか。

 その後、言葉としての使用が定着していったのはおそらく1980年代後半だろうかと思われる*1。少なくとも1990年ごろのゲームレビューを読むとビデオゲームのよしあしを語るのに「ゲーム性がある/ない」「ゲーム性が高い/低い」といった言葉はすでに頻出している。

 そして、1990年代中盤にもなれば、「「ゲームはゲーム性」などといった紋切型のコメントしかできないライターや批評家ばかりでは困ってしまいますね。」*2などといった議論すらサラっとなされており、「ゲーム性」にばかりこだわるような言説を冷ややかにみるような立場もこのころには成立している。

 その後、一般的には『ファイナルファンタジーVII』の発売時期(1997年)を前後によく使われるようになったといった印象がもたれているようで、ネット上のあるゲーム辞典*3では、「ゲーム性」を「「ファイナルファンタジーVII」がヒットした頃から突如として流行するようになった言葉。」などと解説しているところもあるが、ゲーム雑誌での「ゲーム性」という言葉の使用頻度が本当その時期を境として増えたのかということについて、*4そこまで明確な言葉の流行があったというデータはない。(下に挙げる参考資料では雑誌「ゲーム批評」誌を調査しているが、「ゲーム批評」誌ではそこまで明確な差はあらわれなかったらしい)

 なお、起源においてビデオゲーム以外のフィールドでも「ゲーム性」という言葉が使われている、と書いたが、現在でもビデオゲームとは関係のない文脈で「ゲーム性」という言葉が使われていることはしばしば存在する。

  • その他の言葉の用法について。

 文脈によって複数の意味が使い分けられており、その全ての用法が議論の俎上にあがるようなビデオゲームの評価枠組みとしての意味ではない。いくつか事例を挙げる。

個々のゲームに固有の性質を表す場合
「インベーダーとゼビウスでは全然ゲーム性が違うよね」「FFとドラクエって実は別々のゲーム性があるよね」 → 「作品性」とか作品の個性、といった意味にも翻訳可能。または、「ゲーム性」という明示化できないアーキテクチャーが文脈において暗黙のうちに前提とされており、その差異を明示していると思われる。(ここには評価的な意味合いが含まれないこともあるし、含まれることもある)
ゲームとしての要件を満たすかどうか、その程度を表す場合
「人生ゲームにはゲーム性がない」「たとえば小説にゲーム性をつけていくと、ゲームブックになる」など。 → 「ゲーム」というカテゴリーに括ることが可能であるかどうか、という問題。「ゲーム」の定義が問題とされている。

 などなど。

 注意深くこの語を追っていくと、様々な言葉の使用例を発見することができるが面白いことの一つは、この語に対するさまざまな形での批判や、あるいはその逆に「俺はゲーム性信者だ」と言うような肯定派(?)もいるなかで、とりあえず曖昧だなんだと問題もありつつもこの言葉によってなんとなくゲームファン達のコミュニケーションはなりたっていることだ。曖昧だけれども、この言葉によってコミュニケーション可能だ、ということだ。

 それはつまりゲーマー達にはこの言葉によってある程度のズレはありつつもお互いに何かしらの形でこの言葉によってイメージが交換できてるということなのだろう。

  • 参考
  • ビデオゲームの議論における「ゲーム性」という言葉をめぐって -雑誌『ゲーム批評』を中心にその使われ方の状況を探る-
    •  → http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/thesis/2002/inoue.html
    •  あまり出来のよいものではありませんが…、一応データと旧来の議論をネタに「ゲーム性」という言葉について語ろうという試みのなされたものです。
    •  前半は遊び論などを引き合いに出して、ゲームや遊びといった概念の定義の可能性/多様性をおっかけて、後半はいきなりテキストデータを分析にかけて、「まっ、色々な使われ方があるよねー」と言ってみましたYO! という内容です。

*1:これは、日本の家庭用ゲーム雑誌が乱立して登場した時期とセットになっている

*2:ざるの会、同人誌「ゲーム業界馬鹿発言大賞」1994年 12月30日

*3:VIDEO GAME ENCYCLOPAEDIA http://zunzunzun.hp.infoseek.co.jp/

*4:きっちりと調査した人がいるわけではないが