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2005年04月12日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

ゲームジャンルの出自

Cafe in Junkyardさんより

RPGとかSLGなどといったゲームジャンルってのはいつごろから作られ出したのだろう。…いつごろから誰がどういうふうに使い始めた名前かわからない

 日本でそういった呼称が使われはじめた時期についてだけなら、けっこう調べました。簡単に経緯を書いておくと、

 まず、SLGやRPGなどのジャンルは海外のアナログゲーム → 海外のコンピューターゲーム → 日本のコンピューターゲーム という形で二段階の輸入を経ています*1。日本に「RPG」「シミュレーション」「アドベンチャー」という言葉が輸入されてからゲーム雑誌*2等で頻繁に使われるようになるのは1983年の後半頃です。この頃に一挙にゲームジャンルを指す言葉がマイコンゲーム雑誌のレベルでは一般化しています。それ以前には海外のゲームジャンル区分がないため、今のアクションゲームのことを「反射神経ゲーム」と呼んだり*3、パズルゲームやシミュレーションゲームを「知的ゲーム」といった言葉で頑張って呼んでいました。

 そして、1983年に一般化したジャンル区分はマイコン雑誌の「ASCII」から分離独立した「ログイン」→「ログイン」から独立した「ファミコン通信」などといった形で80年代中盤頃に乱立して創刊する家庭用ゲーム雑誌の世界にも受け継がれていきます。

 当然、その頃はジャンル区分の親子関係も今のような形とは少し違っています。当時、文学部四年生だった浜村弘一が書いている『パソコンゲームランキングブック』(旺文社、1983年10月)などでは、「RPG」は「アドベンチャー」のサブジャンルとして区分されたりしています。

 ジャンルを示す言語が輸入された後も、何がRPGで、何がシミュレーションなのか、といった意味内容と意味表現の一致が現在のような形になるまでにはさらに数年が必要で、今現在のジャンル区分の水準からしてほぼ(95%ぐらい?)しっくりくるぐらいの状況*4がやってくるにはさらに後。だいたい1987年~1989年ごろぐらいでしょうか。そのころには意味内容と意味表現が現在の水準とほぼ同じといっていい状況になっています。

 その後に出てくる細かい区分が普及してきた経緯はケースバイケースに出てきているので一概には言えませんが、単に言葉が普及した後も、いろいろな意味の読み替えが行われたりしてごちゃごちゃとしてますね。

 それと、細かいジャンルを示す言葉を誰がどういう経緯でいい出したか調べるのは難しいです。普及した時期だけならデータを追っていけば比較的すぐにわかりますが、誰が言い出したか、となるとゲームに関する雑誌資料、広告、番組等々はアホみたいな量がある割に、国会図書館に行っても保存されているものに限りがありますからね(特に創刊間際のゲーム雑誌なんかは保存されてません)。それに最初にその言葉を作られたきっかけと、その言葉が普及するきっかけはまったく別物だったりするので厳密な意味での言葉の「起源」は限界があったりもします。

 あと、海外の事情はさっぱりわからんです。多分、id:hallyさんとかがすごい詳しそうです。

ゲームのパッケージにジャンル名なんて記載されだしたのはいつからだ?

 パッケージは調べたことないですが、先にも述べたとおり1983年の後半にはいきなりジャンル名がたくさん使われはじめているので、その言葉の輸入元であった海外のゲーム市場だったら、もしかすると80年代初期ですでに「パッケージにジャンル名を記載する」というものがあったのかもしれません。

*1:アドベンチャー、アクションは元ネタがいまひとつわかりませんが。

*2:当時は主にマイコンゲームを扱った「I/O」「ASCII」「マイコン」などの雑誌

*3:また、80年代初期は、アクション、シューティングゲームなどのことを「アーケード」というジャンル名でくくっていたりすることがありました。いうまでもなく、これはゲームセンターという場所を示す言葉がジャンルを示す言葉になってるんですね。なお、アーケードという言葉の起源についてはhallyさんが詳細にまとめています → http://d.hatena.ne.jp/hally/20040710#p1

*4:家庭用ゲームの一般ゲーマーの認知水準まで含めた意味で。

2004年10月10日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(3)

このセリフには驚いた。

「ど、どうなってんだ!?

コインばっかりでキノコがでない…。」

「ばかめ!

スーパーマリオは裏技とかくれキャラの集大成ゲーム。

すべてをしりつくしたこのおれの腕を見るがいい!!」

以上は1985年からコロコロコミックに連載されていた『ファミコンロッキー』三巻、P139からの引用である。

このセリフは、ゲームファンなら絶対に驚いていいセリフの一つだと思う。今でこそ、スーパーマリオといえば、ゲームの中のゲーム。伝統の中心に位置してキングの位置を占めているといってもいいような作品だが、当時でいえば、そのような「伝統」はあたりまえのようになかったわけだ。

85年から流行しはじめた「裏技」と「隠れキャラ」というブーム*1にのった最先端。伝統を踏まえた何かだったり、「ゲームの面白さの普遍性」とかといったものを踏まえたものとして語られるものではなくて、その時代的特殊性を強烈に孕んだ、普遍性とは全く逆の立場から語られている。

*1:雑誌コンプティークの86年1月号で、「今の裏技ブームを作ったのはコンプティークだ!」とかってことを言っているが本当だろうか?

2004年10月07日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(2) シミュレーションゲーム つづき

(6日からの続き)

 「シミュレーションゲーム」というジャンルが日本のビデオゲーム雑誌などに数多く登場するようになるのは、1983年のことだ。そもそも、82年、83年ごろというのがマイコン雑誌から独立する形で数多くのゲーム専門誌が登場する*1ので、日本ではそれまでそういった言葉が使われるメディア自体があまりメジャーな形で存在していなかった。当時には「シミュレーションゲーム」のみならず、アクションゲーム、アドベンチャーゲーム、RPGといった、他のジャンルもいっせいに登場してきている。

 1983年10月1日発行の『パソコンゲームランキングブック』*2によれば、「シミュレーションゲーム」のサブジャンルとして当初含まれていたのは、『森田のバトルフィールド』『空中戦』『198X』といった「ウォーゲームタイプ」、『ランデブー』などの「トラベラータイプ」、『投資ゲーム』などの「マネータイプゲーム」、『信長の野望』『マリアナ海戦』『スラバヤ沖海戦』などの「歴史スペクタクルタイプ」、そして、『ホイホイ』『選挙』などが「ETC」として括られている。

 なお、「シミュレーション」という括られ方をうろうろとしていたものとしてはスポーツゲームやフライトシミュレーションがある。これらは、アクションのサブジャンルとして括られるか、シミュレーションのサブジャンルとして括られるか、あるいは独立した別ジャンルとして括られるかを長い時期うろうろとし、スポーツゲームは独自ジャンルとして見られることが多くなったものの、フライトシミュレーションはいまだに括り方は一定していない。*3

(現在編集中)

*1:創刊はそれぞれ「ログイン」1982年5月、「マイコンBASICマガジン」1982年7月、「アミューズメントライフ」83年、「コンプティーク」83年 、「POPCOM」83年5月 などといった具合である。これより古いものとしては、「ゲームマシン」誌(http://www.ampress.co.jp/index.htm)が、1974年から、「I/O」が76年12月から、「月刊アスキー」が1977年7月からあるが、82年、83年頃に、マイコンゲーム、パソコンゲームの雑誌が大量に出てくるのと同時に、「I/O」誌などでも、「アクション」や「アドベンチャー」といった言葉を使うようになっていったようだ

*2:旺文社刊。宣伝広告に、「9月30日が応募締め切り!」とかかれていたりするので、実際の発売は8月とか9月だったと思われる。なお、トリビアだが、当時大学文学部の4年生だった、浜村弘一も本書にライターとして加わっていて、APPLEのゲームを絶賛したりしている。

*3:84年末に出た、「Beep」創刊号((発行の日付は、85年1月)を見ると「今年最大のシミュレーション『野球狂』なんてったってこのハドソンからでた『野球狂』はすごい!!」(P133)という読者投稿があるかと思えば、ベストヒット21のコーナー(P162)では、『野球狂』のジャンルはアクションになっている。4年後の「Beep」89年1月号のNewReleaseScrambleのコーナー(P11)では、『ベースボールスター』がまだ「SLG」として紹介されている。

2004年10月06日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(2) シミュレーションゲーム

 とある、2chネラーの先輩に聞いた話、2chでは「光栄のゲームのシミュレーションじゃない」とかっていう議論がちょこちょことあるらしい。

 それっていうのはつまり、「シミュレーション」という言葉のイメージの源泉をどのようなところに求めるのか、という話で、2chにおける「光栄≠シミュレーション」の議論の構図というのは、基本的には「シミュレーション」という言葉のイメージを物理シミュレーターのようなものに求めたり、歴史の再現性といった水準に置いているから、といった要因らしく、検索してみると、こんな言葉が見つかる。

221 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 2001/04/22(日) 02:48

同じゲームシステム歴史を再現することもゲームすることも

出来なきゃシミュレーションじゃない

2通りの楽しみが出来なきゃしょうがない。

あとさ、変にルーチンに任せッきりだからcomが

歴史通りに動かないのがイタイ。

日本語として意味が取りずらいところもあるが、まあ、つまり「歴史を再現すべき」という話だ。光栄シミュレーションについてはそんなに深く興味を持っていなかったので、知らなかったが、まあ、出てきそうな話ではある。

で、それに対して、一般的に「ゲームはシミュレーションじゃない」的な言い方というのも、ゲームデザインなどの分野ではかなり定着した物言いになってきているような気がする。ウェブ上で読めるもので、かつ、かなり古いものとしては1982年に書かれた、クロフォードのゲームデザイン論にも見ることができる。

シミュレーションは、実際に起きる現象をさまざまなパラメータを用いて精密に表現しようとする。一方、ゲームでは、その現象をできるだけシンプルに表現しようとするのだ。シミュレーションの研究者は、あまりに複雑で計算が追いつかないとか、現象がややこしすぎて理解できないという場合に、仕方なしに現象の単純化を行う。それに対して、ゲームデザイナーはデザイナー自身が一番大事だと思っているパラメータにプレイヤーの意識を集中させるために、喜んで現象を単純化するのである。両者の目的には明確な差があるのだ。シミュレーションは、何かを計算したり評価したりするために行われるのに対して、ゲームは娯楽のため、そして何かを教育するために行われるのである

(第一章 ゲームとは何か >> 世界の再現 >> ゲームとシミュレーションの違い)

 この議論は、基本的には、現在までずっと継続して受け継がれてきている節があり、今年度に刊行された出版物などの中にも発見することができる、ごくベーシックな言い方だろうし、この立場は非常に明解だ。限られたスペック、トークン、時間、ルールなどを動因して行う娯楽としての、ゲームデザイナーがゲームに対してシミュレーターとしての重要性を求めすぎると破綻してしまうというのはひとまずは納得できる議論だ。

 だが、だからといって、ユーザーからの「歴史の再現」というニーズを全否定できるか、といえば、そういうわけにもいかない。ゲームデザイン的な都合という観点と、ユーザーの要望は分けて考えられる問題だし、一ユーザーの願望としてはよくわかるし、無視するわけにもいかないのが「シミュレーション」と「(娯楽としての)ゲーム」を混ぜ合わせてしまった「シミュレーションゲーム」というジャンルの抱える困難さだろう。

 さて、80年代に刊行されていたボードゲームのウォーシミュレーションゲーマーのためのゲーム評論誌「SIMULATOR」12号(1984年9月25日発行)*1で、シミュレーションゲームのゲームデザイナーである黒田幸弘氏が面白い議論をしている。

 まず、黒田氏は、「シミュレーションゲーム界の区分」として、「昔からシミュレーションゲーム界の区分というとシミュレーション派とゲーム派というのが有力でした」と紹介しつつ、日本ではその二分類を用いずに(1)ゲーム派(2)歴史派(3)データ派 という三分類を提示して、それぞれを以下のように整理する。(P13)

で、この3派の情勢はどうなっているか。歴史派とデータ派、これのほうがですね、一般の文章表現においては、強いんです。なぜかというと、歴史派とデータ派は極論なんですよ。はっきり言って、無茶苦茶いえるわけです。歴史派だったら、歴史通りやればいいんだと、その他は全て邪道だ。データ派だったら、データが正しければいいんだと、他は邪道だと。マルクス主義が今でも生き残っているように、極論というのは思想に対してインパクトがすごく強いんです。それに対してゲーム派は、ゲームとしておもしろければいいじゃないかと、いじけるわけですよね。(笑声)

 この後の細かい議論については割愛する*2が、シミュレーションとしてのリアリティの水準が「歴史派」と「データ派」といった形で多層化していることを分析していることに加えて、「ゲーム派」をも極論として囲い込んでしまっている点が、この分類は面白い。

(つづく)

*1:現在も活躍中の鈴木銀一郎氏などが議論に加わっており、当時「国産のシミュレーションゲームが発表されてから約3年」と話している。日本ではこの界隈もTVゲームと同様に80年代という同時期に勃興してきたものだというのが面白い。なお、ISBNコードとかプリントされてないので、国会図書館でも置いてあるかどうかどうかわかりません。

*2:この後の議論はちょっと微妙な話の展開になるが、さらに細かく、三派に対しての反論が加わっていく。「歴史派」に対しては「シミュレーションが最終結果を固定してしまったらシミュレーションではない」、「データ派」に対しては、データ派が言っているデータとは公式発表の矛盾だらけの数字に過ぎず、実際には雰囲気を再現するために必要な根本データに何をとったらいいのかなどわからない、という話をしている。そして、黒田氏の属するレックカンパニーについて言及し「今やっているシミュレーションゲームはほとんど戦争をテーマにしています。戦争の目的とは何か。歴史の追体験ではありません。勝つことです。とすれば、レックカンパニーは正しいゲームをつくっているのではないかということなんです」と説明する。反論はまだしも、この説明はちょっと強引。

2004年09月24日(はてなダイアリーバックアップ用ミラー)

80年代のゲームの言葉シリーズ(1)

問題。この紹介文は何の紹介文でしょうか。

まず自分の名前を登録すると、画面内のキャラがその名で呼びかけてくれる、という遊びのノリがたまらない。

(省略)

なんと言っても楽しいのは、画面に登場するキャラクターすべてが話し好きなことだ。ある者はヒントを、ある者はただのおしゃべりを答えてくれる。城の外にはデートをする若者までいる。必要なアイテムには「王女の愛」なんてものまである。王女がプレイヤーにたずねる。「○○さまはわたしのことをあいしてくださいますか」、ここで「いいえ」といれたり、悪の竜王から「手をくもう」と言われて「はい」と答えたりすると、物語は意外な展開をする。

 もちろん戦いはあるが、相手によっては逃げてもいい。「にげる」なんてコマンドは絶対にアクションやシューティングにはない。攻撃力もランダムに設定されていて、「渾身の一撃」で相手を倒したりすると、道で一万円札を拾ったような感動がある。

 もちろんゲームは途中でセーブできるし、持っているアイテムは消えない。途中で死んでしまうと、王のお叱りの言葉が待っているし、手持ちのゴールドも半分になってしまう。お金がなければ宿屋にも泊まれないし、武器も買えない。「ゼルダ」もそうだが、金がなければ何もできない資本主義の枠がばっちりとはめられているところが、現代人の自虐性にぴったりとマッチしているのだ。

 私はこの紹介文を読んで、思わずこのゲームをやりたくなってしまった。

 NPCとたくさん会話をすることができて、物語もインタラクティブに展開して、戦闘をするのもしないのも自由、そして、なんとゲームの中に貨幣経済が再現されている、―――などと聞くとどんな未来のゲームかと思うが、語られているのは86年に発売された『ドラゴンクエスト』の第一作目のことだ。

 これは、1986年11月20日初版の小林正樹『大人のためのファミコン必勝講座』に掲載された文章で、当時まだ社会現象化していないドラクエ1というファミコンではあまりメジャーでなかったジャンルを語る際にこういう説明が載ったわけだが、この紹介はとりわけすごい、と思ったので掲載した。

 今ではほとんどのプレイヤーにとって自明視されているゲームの中で「金を使う」という行為をさして「金がなければ何もできない資本主義の枠がばっちりとはめられているところが、現代人の自虐性にぴったりとマッチしている」などという誉め言葉は2004年現在のゲーマーにはまず出てこないし、ドラクエ1のNPCを見て単調だと思いこそすれ、「話好き」などと表現しようなどとは思わない。「ええっ!?そこで驚くの?!」ということに驚いてしまう。

 ここ数ヶ月80年代のゲームの資料をあさっていたのだが、80年代はゲームの受容のされ方は、現在からすると本当に違っている、ということをここ数ヶ月で思い知った。他にもネタがいろいろとあるので、とりあえず、ネタに困ったらこのネタで。


■補足トリビア1

詳しい人にはよく知られている話だが、ドラクエ1が発売されたのは1986年5月。現在では、押しも押されぬ人気作も、ドラクエ1が発売された直後の扱いはあまりたいしたものではなかった。当時、ファミコン雑誌等の水準では「RPG」といえばアクションRPG『ゼルダの伝説』のことであり、例えば、ファミコン通信創刊号(86年6月20日号)などを見てみると、『ゼルダの伝説』や『謎の村雨城』といったソフトの記事が何ページもわたって取り扱われているのに比べて、『ドラゴンクエスト』の記事は見開き二ページの紹介と、エニックス自らの広告ページの合計三ページだけだ。ドラゴンクエスト1が大体的にフォーカスされるのはファミコン通信やコンプティーク、Beepなどといった雑誌ではなく週刊少年ジャンプの記事で行われることで大ヒットにつながっていく。

■補足トリビア2

紹介した小林正樹『大人のためのファミコン必勝講座』は全体的にはあんまりおすすめしません。86年はまさに「ファミコン・ブーム」という年であり、同年の8月10日にも『お父さんに捧げるファミコン講座』ファミコン中年団著、などといった類書も出ていたり、86年はファミコン関連本が沢山出版されています。ほとんどのものが「資料」として読む以外の観点ではオススメできない本ばかりです。

■補足トリビア3

1960年代~70年代前半生まれのゲーマーにとっては当然のことをたくさん書くかもしれませんが、生暖かい目で見守っていただければ幸いです。