Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 「双方向性の」「対話式の」という意味を表す、interactiveの名詞形(英語)。例えば「ボタンを押す」という動作をプレイヤーが起こすと、ゲームの側で何かの「反応を返してくる」ということは、互いにアクションを起こすわけだから「Inter」+「Active」。
 これこそがビデオゲームの本質的な要素である、と指摘されることの最も多い用語の一つ。「インタラクティビティ」がゲームにとって重要な要素の一つであることは確かだが、インタラクティビティだけが特権的に「これぞゲームの本質」として無反省に祭り上げられるのはちょっと、いかがなものか。

 また、細かい議論で恐縮だが、「ゲームなんてただのプログラムなんだから、こっちのアクションに対して、ゲームがアクションを返してるんじゃなくて、単に<ボールを落としたらボールが落ちる>というような物理現象とたいしてかわらないんじゃないの?」とかそういう話をする人もいたりして、「じゃあ、インタラクションっていうのはどういうことさ」ということを、こういう形で聞かれると、結構みんな答えにつまってしまう。
 ここで強引に答えてみると「インタラクション」の問題系統の整理の仕方は「Inter」と「Action」の二つにわかれる。
 「Inter」というのはつまり、主体主体の間で情報の送信と受信がきちんとなされているか、という問題。主体主体はきちんと結ばれているか、という問題である。
 それに対して「Action」というのは、例えば、テレビゲームというのは「私」と「何か」の間でのやりとりが成立しているわけだが、「私」と「何か」は本当にActionを起こしているのかどうか。「何か」は本当に自律的な意志を持った主体なのかどうか。という私に対する「何か」の主体としての認定論に関わってくるという系統の問題である。人間の友人は確かに「主体」かもしれないが、人工無能だとかと言われる擬似AIなどは「自律的な意志をもった主体」として、人間と同格の存在として認めていいのかどうか、という問題が残る。
 で、まあ、だいたい、現在インタラクションとか何とかと言っているのは、厳密には、「Inter」の部分だけで「Action」の部分が本当にあるのかどうか、と言われるとそれはちょっとあやしい。だから、「インタラクション」みたいな「ヒト対ヒト」という主体間の関係性を想定した相互作用の言葉を使うんじゃなくて、「アフォーダンス」みたいな、「ヒト対モノ」「ヒト対環境」のフィードバックを想定した概念を用いた方がビデオゲームを語るのに適当な概念だ、という人もいる。個人的には、そこんとこに、こだわらない人は「インタラクション」でも別にいいと思うけど、こだわる人は「アフォーダンス」を推奨。「いや、俺はそんなわけのわからん言葉は使わん!」という人は、「俺のヤマト言葉」で新しい言葉を作ってみることを推奨。


参考:

エリック・ジマーマン『Rules of Play』:過去の「interaction」の定義をいろいろと参照している。
安川一 1993 『現代のエスプリ』掲載論文


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最終更新: 2007-02-17 (土) 20:45:59 (3779d)