Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 映画などでは映像を「見る人」と、映像を「作る人」が分離しているために、作品の受け手は映画を「見ること」に集中できる。だが、ゲームでは映像を「見る人」と映像を「作る人」(コントローラーを操作する人)に重なりがあるために、プレイヤーに対して単に映像を「見る人」としての地位を与えることができない。
 例えば、ジョン=ウーの映画のような印象的な映像の見せ方をすれば確かにかっこいいことはかっこいい。だが、視点が一定しないためにプレイヤーがゲームを操作することが難しくなる、という障害がある。たとえば、ゲームの3D化が本格化する時期に大きな役割を果たした『Final Fantasy VII』(1997)では、巨大な原子炉(魔高炉)を描いたプリレンダリングの一枚絵の美しいシーンが登場するが、画面の奥にゆくにつれて、プレイヤーの操作するキャラクターのサイズが小さくなり、ゲームの操作を困難にしていた。

 「見る人」と「やる人」を分離するための方法として、レースゲームなどでは「リプレイ」などという方式でそれを妥協的に解決するのが代表的な手段である。RPGなどではムービーシーンなどを導入したり、プレイヤーがコントローラーに触らなくとも勝手に動いていくようなシーンを導入することで両者の分離をはたしているが、「やる人」としての権限を奪われるタイミングが勝手に制御されている、ということに対して一部のユーザーからは不満も多い(→映画的)。他にテロップを入れたり、主観視点などを導入することによって雰囲気をかもし出すという手法(例:『メタルギアソリッド』(1997)のオープニングシーン)や、「操作している自分のプレイが充分かっこいい」という映像を作るように工夫する(『デビル・メイ・クライ』『ジェット・セット・ラジオ』)という方向性も存在する。

参考

関連

[映画的]、[プレイヤー]、[無意識]、観客


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最終更新: 2007-02-17 (土) 20:46:03 (3752d)