Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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 ゲームの側からプレイヤーに与えられた目的。「魔王を倒す」「謎を解く」などなど。試合などのような狭義のゲームとして作られたゲームにおいては、プレイヤーが行動をする際に目的がなければゲームとして機能しないので、プレイヤーが何をしていいのかわからなくなるような状況を避けるためには、何か大なり小なりプレイヤーの行動目的を設定しておくことによって、狭義のゲームとしての性質を保持させておくのは極めて一般的な手法。
 だが、ただ単に一方的にプレイヤーに対して目的を「与える」というやり方によって、プレイヤー目的達成の意欲を引き出せるか、というとそういうわけでもなく、プレイヤーに「再挑戦をしたい」と思わせるようなゲームバランスの設定をしておくことや、少しずつ状況が進展していることを実感させるような小目標を設定しておくこと、あるいはプレイヤーのゲームの腕が少しずつ上達する実感ができるようにする、などといった、細かい配慮が必要になるものだろう。単に「姫を助けろ」というような大目標を掲げるだけでは、プレイヤーにその目標を共有してもらえるとはあまり思えない。
 また、目的を勝手に設定するということは、「プレイヤー」というゲーム自体の物語文脈とは無関係で多様な存在を、ゲームの内部の文脈にひきこみ、全員に一定の行動を行ってもらう、というやわらかな権力行為とも言えるものである。そこには常にプレイヤーの側から、「目標を押し付けるな」という形での自由を求める反発をひきおこしてしまうおそれもつきまとう。そこで生じる「押し付け」という反発を回避するために必要なことは実質的に押し付けないシステムを実装することであるというよりも、プレイヤーの側が「押し付け」だと思う/思わないという<実感>の問題のほうが重要だろう。たとえば、マリオで右に進むことを押し付けてもそこでの反発は薄いし、格闘ゲームで敵を倒すことを押し付けても反発は生じない。それは、目標を与えていないわけではなく、そもそもプレイヤーが右を進んだり、敵を倒したりすることを欲してゲームに接するという文脈が事前に用意されているからこそ「押し付け」といった反発が生じないのである。つまり、プレイヤー目的の存在に反発を感じさせないような文脈を成立させることこそが「押し付け」という声を回避しつつも、ゲームデザインを破綻させないための手段だろう。


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最終更新: 2007-02-17 (土) 20:46:09 (3810d)