ゲームがゲームとして成立するために必須の要素であると同時に、「目的」という制度から逃れられないために、ゲームは様々な制約を課されていると言ってもいい。RPGが常に成長物語としかならず「ラストボス」とか達成の末に存在する「何か」を必要とするな構造しかとれないのもこのためである。 ただし、ゲーム内に目的が存在するのか、ゲームの外に目的が存在するのか、それともプレイヤーが独自に目的を設定するのか、またはゲームの目的を多様な形にして多種多様なプレイをするのか、などといった対策もないことはない。
ルール内目的と、ルール外目的 †
- ルール内目的:敵や報酬など。
- ルール外目的:物語や「算数の勉強」だとか。 もう少し具体的に言うと、例えばバラモスやハーゴン、あるいはエンディングムービー、ゲームセンターでの対戦相手といったものは、ゲームのルールにのっとった目的対象物だが、ドラクエのストーリーや、EMITでの「英語学習」だとかは、ゲームのルールそのものには関与しない要素。
ルール内目的とルール外目的の裂け目は、ゲームをめぐる評価/制作において常に問題となる。 たとえば、80年代中盤以降のDQ,FFを中心とした和製RPGでは、ゲームのシステムをめぐる評価と、ゲームの物語をめぐる評価の差異をどう処理するか、ということがしばしば問題にされた。「RPGは物語の善し悪しが大事!」といった言説は80年代後半〜90年代にかけて支配的になっていくが、こうした言説ではゲーム外目的を達成しているかどうか、ということが常に評価の対象とされてきたわけである。 また、学習ゲームでもこれは頻繁に問題となる。「数学の定式をプレイヤーが習得すること」(ルール外目的)と、「プレイヤーキャラクターがレベルアップすること」(ルール内目的)は別のことだが、この両者の折り合いをどうつけるか、あるいはそもそも一緒にしてしまっていいものなのか、ということがゲーム制作者の頭を悩ましてきた。
ゲーム世界内目的、ゲーム世界外目的 †
- ゲーム世界内目的:ゲームにそもそもプログラム済みであるNPCの敵キャラクター。プログラムされたもの。
- ゲーム世界外目的:ゲームにはプログラムされていないPCの敵キャラクター(対戦相手)。プログラムされていないもの。
両者とも基本的にはゲームルールに沿った形での目的対象として存在しており、共にゲームルール内部目的である。 目的がゲーム世界内で完結してしまうことは、ゲームのプレイ時間の限界を必然的に要請する。RPGのラスボスを倒してしまって以降、ゲーム世界内には「やりこみ」という特殊プレイを行う以外にはやることがなくなってしまう。(このため、90年代のファミ通には、壮絶な「やりこみプレイ」の数々が誌面をかざった) ゲームの目的が、ゲームの世界外にいる対戦相手などであれば、「ゲームが終わる」ということはない。だが、ゲームの世界外に配置された生身の人間は、ゲームの難易度設計とは無関係に存在してしまう。そのため、アーケードゲームや、オンラインゲームでは「初心者」がどのようにして、すでに成熟したゲームプレイヤー・コミュニティへとコミットしていけるか、ということが問題となる。