いかようにでも使いようのある幅広い話なので、アレだが、普通、現代思想系の文脈で言うと、「わたし」の意志や予測/期待の水準とはかけ離れたところにあって、制御不可能な存在!…みたいな意味あいで使われるわけだが、
たとえば、ゲームでは、次のような登場の仕方がある。
1.評価者としての他者:見せびらかす相手。認めてくれる相手であると同時に、自分を認めず、否定し、脅かす存在としての可能性もはらんでいる。観客。
2.敵、ライバルとしての他者:うちたおすべき目標としての他者。さらに「障害物、エネミー」としての他者と競争者(コンペティター)としての他者にわかれる。
3.味方としての他者:冒険の協力者としての他者。
4.他者としてのプレイヤーキャラクタ:自己の延長線上のもの、分身。として配置されているはずのPCだが、『ポートピア殺人事件』などでは、自己の延長線上の存在が、裏返ったりする。
5.プレイヤー圏の他者
これらの中でも最も重要だと思われるのは「観客」という概念。観客概念は正確には「ライバルとしての敵(コンペティター)」や、「味方」の中にもふくまれている。それが見つめ返してくる主体である限り、遊びに参与した自分を常にそれは見ているわけである。
また、「制御不可能な存在としての他者」みたいな話は、ゲームの場合、プレイヤーキャラクターが、実は、他人だった!みたいなときに顕著にあらわれることになる。
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最終更新: 2007-02-17 (土) 20:46:06 (5093d)