Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

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テレビゲーム」の歴史以前

 「テレビゲーム」という概念はいつから登場したのだろうか。
 コンピューターゲームの歴史は通常、1958年のウイリー・ヒギンボーサム(William A.Higinbotham)による"Tennis for Two"か、1962年の"SpaceWar?!"を起源として数えることが多いが、これは1980年移行のコンピュータ・ゲーム全盛期以降にはじめて「起源」として発見された歴史である。かつて「ゲームマシン」という言葉の指す対象は、決してコンピューターゲームを指すものではなかった。

 まず、「テレビゲーム」それ自体を指す言葉が日本で使われはじめたことを70年代には確認できる。コンピューターゲームを世界ではじめて商業化しようとアタリ社が活動を開始し、アメリカで『ポン』が一定の成功を得るのが70年代中盤である。商業的に「テレビゲーム」が成立する70年代中盤までそれを指す言葉がほとんど存在していなかったことはごく当然のであると言える。
 「テレビゲーム」の登場初期にこの表現が一般化していたわけではない。特に日本ではインベーダーブーム以前は、ゲーム業界紙「ゲームマシン」紙などをみても「ゲームマシン」がコンピューターゲーム一辺倒とはほど遠かったことがわかる。それを象徴的にあらわしているのは、インベーダー前夜の1978年の1月1日号(第87号)の「アミューズメントマシンのたどってきた100年」という特集記事である。
 ここでは、「アミューズメントマシン」の歴史を日本とアメリカで比較し、アメリカでは「アミューズメントマシン」の歴史は、1978年から約100年前の1877年からはじまったことになっている。
 1877年に何があったのか。
 それは1877年「トーマス・エジソンが蓄音機を発明」である。「ゲームマシン」紙における「アミューズメントマシン」の歴史はそこからカウントされている。
 なぜ、蓄音機の発明が、アミューズメントマシンの歴史の発端としてカウントされているのか。同紙の解説によれば、「蓄音機が娯楽用となるのに指して時間はかからず、今世紀はじめにはすでにロウ管式のジュークボックス、「カラマズーマルチホン」が硬貨作動式で出ている」という説明がなされている。つまり「ジュークボックス」という娯楽マシンの歴史として蓄音機がとりあられているのである。
 また、1977年1月15日号(第64号)のアミューズメントマシン業界が今後どのようにあるべきかを論じた「対談放談」の中では当時コンピュータ・ゲームを産業として形成させるのに成功をおさめつつあったが、それもアミューズメントマシン業界全体から見れば、「一つの潮流」でしかなかった。

 「アメリカのメーカーではその点はっきりしてますね。フリッパーはゴットリーブ、ウィリアムズ、バリー、ジュークボックスはシーバーグ、ロウAMI、ロックオーラ、ワーリッツアー。バリーなんかは、スロットマシン、ビンゴ、フリッパーがその生産の主軸だし、アタリはビデオTVゲームしか作らない。それぞれのメーカーが独自で自社で製造する製品のカテゴリーを守っている。」(P7)

 「アタリ」はコンピュータ・ゲームを産業として成立させた輝かしい企業なのではな、ある特殊カテゴリーの専門業者、という位置づけで語られているのである。

テレビゲーム」という対象の成立

インベーダー・ブーム

 さらに、「ゲームマシン」紙を続けてみていこう。
 「ゲームマシン」紙において、コンピューターゲームの記事がメインを占めていなかったことはすでに述べたが、インベーダーブームの頃から急速にコンピューターゲームの記事が伸びていくことになる。
 78年にインベーダーゲームがブームとなった翌年最初のゲームマシン紙1979年1月1日号の「新年展望」の特集では、当時アミューズメントマシン業界の大手企業であった、株式会社シグマ社の代表取締役真鍋勝紀氏が、昨年を振り返って

 「さて、1978年を振り返り概観しますと、発展し続ける当業界にとって、よりいっそう大きな転換を成し遂げた一年であったと存じます。それを現象的に表現するとすれば、「ヴィディオ・ゲームがゲーム・マシンとして市民権を獲得した一年であった」と表現できると思います」(P5)

 と述べる。この後、アタリ社の『ポン」からはじまる「ヴィディオ・ゲーム」の歴史を述べ「スキル・ゲーム「スペース・インベーダ」のフィーバーの内に、新しい年を迎えた」としている。
 また、「ゲームマシン」紙に見える広告も77年から79年にかけて大きく様変わりしていることを見て取ることができる。77年の広告は、フリッパーや、スロット、ジュークボックスなどの広告が過半数を占めているのに対して、78年には『ブレイクアウト』および、その類似商品の広告が増加しはじめ、79年になると、広告の過半数は、『スペース・インベーダー』およびその類似商品、前年同様『ブレイクアウト』の広告、『コンピューターオセロゲーム』など、そのほとんどがコンピューターゲームなどによって占められるという事態が起こっている。

多様なハードの登場

 さて、このような形で、「ヴィディオ・ゲーム」が市民権を得た、とされるのは、真鍋氏の言うように、78年、79年にかけてのことであったわけだが、「テレビゲーム」という言葉が、広義の意味でも狭義の意味でも、現在に近い形で使われるようになるには、さらに数年以上あとのことになる。
 現在「テレビゲーム」という言葉の使われ方は、広義の意味では、コンピューターゲーム全般を指す言葉であり、狭義の意味では家庭用のテレビ投影型のコンピューターゲームのことを指しているわけだが、そもそも広義の意味での「テレビゲーム」が現在のような意味になるためにはコンピューターゲームがゲームセンターに置かれているアーケードゲームのみならず、パソコン用ゲームや、家庭用ゲームなどの多様な広がりが用意されていなければ、そもそも「広義」になりようがなく、狭義の意味では、家庭用ゲームの普及をまたなければならない。
 もちろん、そのようなハードの普及だけが問題なわけではない。70年代後半から、80年代前半にかけて、様々なゲームマシンが一挙に普及してきたときに、それらを区別する言葉が最初から整然とした形で整理されたわけではない。

 それらのハードの登場を整理しつつ、どのような言葉が使われていたのかを簡単に概観してみよう。
 まず、先に述べた70年代末にインベーダー・ゲームがブームを引き起こし、「ゲームセンター」「ゲーム喫茶」が普及していった際に、同時多発的に、様々なコンピューターゲームの市場が勢いを増している。80年には、任天堂から「ゲーム&ウォッチ」がブームとなり、同じく80年代初期には、雑誌『I/O』や『マイコンBASICマガジン』などに代表される「マイコンブーム」が起こり、「マイコン」(今でいうパソコン)での海外からの輸入、国内開発共にゲームが充実してくる。
 そこで、コンピューターゲームを指す言葉にも、同時に複数の言葉が登場してくることになる。まず「ゲーム&ウォッチ」のブームを主な対象として、コンピューターゲームを含め、電動オモチャ全般を指す言葉として「電子ゲーム」という言葉がメジャーになっている。そのような「電子ゲーム」を紹介する書籍としても1982年には実業之日本社から『電子ゲーム大作戦』(こどもポケット百科)『電子ゲーム大作戦 最新版』(こどもポケット百科) 、翌83年には講談社から似たような名前で『電子ゲーム必勝法』『新 電子ゲーム必勝法』が、84年には徳間書店から、これも似たような名前の『電子ゲーム大図鑑』『電子ゲーム決定版大図鑑』『電子ゲーム必勝法 大図鑑』 などが相次いで出版されており、「電子ゲーム」という言葉が非常にメジャーなものであったことをうかがわせる。
 次に、「マイコン」のゲームを指す言葉としては、「パソコンゲーム」や「マイコンゲーム」といった言葉が登場している。この二つの言葉の違いは、わかりにくいのだが、appleIIなどのパソコンで遊ばれていた『ウルティマ』『ウィザードリィ』などといったゲームは「パソコンゲーム」として括られるのだが、当時はコモドールの出していた「マックスマシーン」や、ソード電算機の「ゲームパソコン」といった「ゲーム機でもあり、パソコンでもある」というようなハードが多数売り出されていた。これらのゲーム機でもあり、パソコンでもある、という形のハードの多くは、ファミリーコンピュータ以前の家庭用ゲーム機として世界的にも数千万規模の売れ行きをあげており、「パソコンゲーム」がハードの値段からして数十万するため、ややマニアックなファン層を獲得しているのに比べて、マイコンゲーム機は一万円前後からの予算で購入することが可能なため子供向けの手軽に遊べるゲームマシンとして、子供向けおもちゃとして売れていたため、同じ「マイコン」でも両者は区別されることが多い。

ファミコンブーム

 「パソコンゲーム」と「家庭用ゲーム」「マイコンゲーム」の差がより明確になるのが、83年に売り出され、85年〜86年にかけて大ブームとなったファミリーコンピュータの普及である。ファミリーコンピュータ用のゲームは当時コンピューターゲームを扱っていた雑誌の多くでは、パソコンのゲームや、ゲームセンターのゲームと区別するために、「ファミリーコンピュータゲーム」「ファミコンソフト」「ファミコンゲーム」といった形で区別した形で呼ばれていた。特に変わった呼称を設けていたのは、84年末に創刊し、創刊当時はコンピュータゲーム全般を扱う雑誌であった「Beep」誌の呼称で、ファミリーコンピュータなどの家庭用ゲーム機のゲームのことをパソコンゲームと区別して「テレホビーゲーム」などといった呼び方で呼んでいる。

 「パソコンゲーム」という言葉は、80年代後半以降も残っていくが、「電子ゲーム」「マイコンゲーム」という言葉は80年代中盤ぐらいでほとんど名称として使われることがなくなり、「テレビゲーム」という言葉にとって変わられていく。「テレホビーゲーム」という独自の呼称を用いていた「Beep」誌においてもそれは同様で、80年代後半にはそのような独自の呼び方をすることもなくなり、「Beep」誌自体が家庭用ゲーム機を中心とした雑誌内容になってゆき、89年には、任天堂のライバル企業であった、セガ・エンタープライズ社の家庭用ゲーム機「メガドライブ」の専門誌となっている。

 以上のように「テレビゲーム」という言葉が定着するまでに数々の紆余曲折があり、「ファミリーコンピュタ」の登場によって、いきなり「テレビゲーム」概念が定着していったわけではないことが、わかるだろう。
 なお、混乱を避けるため、70年代から80年代中盤にかけての当時のメジャーな呼称を一覧で載せておく。

  • 電子ゲーム:携帯ゲーム機であるゲーム&ウォッチを中心として、電動オモチャ、マイコンゲーム機などを含む呼び方。コンピューターゲームというより「電気で動くゲーム」といったものを多く含む。
  • マイコンゲーム:マイコンゲーム機(マックスマシーン、カセットビジョン、ぴゅう太、光速船など)を中心とした呼び方。
  • テレホビーゲーム:主に雑誌「Beep」誌において使われていた呼称。家庭用ゲーム機のゲームを指す。マイコンゲームは含まない。
  • ファミコンゲーム、ファミコンソフト、ファミリーコンピュータゲーム:任天堂のゲーム機ファミリーコンピュータ専用のゲームのこと
  • ビデオゲーム:80年代中盤まではコンピューターゲーム全般のことを指していたが、80年代中盤にはゲームセンターのゲームのことを指すようになる。(英語では、「videogame」と言えばコンピューターゲーム全般のことを指す)
  • アーケードゲーム:ゲームセンターのゲームのこと。70年代においては業界誌である「ゲームマシン」紙において使用されている程度で、一般のゲーム誌でこの呼び方が使われはじめるのは80年代後半にゲームセンターのゲームの専門誌である「ゲーメスト」誌などで。
  • アミューズメントマシン:主に業務用の娯楽用機械全般のことを指す。コンピューターゲームだけではなく、ジュークボックスや、フリッパー、スロット、UFOキャッチャーなども含まれる。
  • テレビゲーム:80年代前半までは、コンピュータとモニターを用いるゲームの総称として「ビデオゲーム」と大差ない使われ方がしていたが、80年代中盤のファミコンブーム以降には家庭用ゲームとそれ以外のゲームを区別するような形で使われることが多くなる。
  • コンピューターゲーム:コンピューターを用いて動くゲーム全般を指す呼称として使用されている。あまり大きな意味の変遷は見られない。

 70年代には、まさしく「テレビゲーム」という名前のついた商品が売り出されているが、これが決定打となったと考えるのは難しい。すでに紹介してきたように数多くの紆余曲折の上で、70年代にワンオブゼムだった「テレビゲーム」という用語が生き残っていった、と捉えた方がよいだろう。

参考(というかほぼまるまる引用)


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最終更新: 2007-02-19 (月) 03:48:10 (3719d)