シチュアシオニスト(状況主義者) †
1950-1980年ぐらいまでの間にギ・ドゥボールの『スペクタクルの社会』(木下誠訳、平凡社、1993)などを理論的支柱としつつ成立していた運動。 『スペクタクルの社会』を読んでみると、たいへんに当時の時代を感じさせるマルクス的な話になっている。資本主義社会が成立させる「スペクタクル社会」の下では、人間はスペクタクルによって支配されるという。全ての商品――ここで言う商品とはパッケージ化された商品だけではなく「労働力」という商品も含む――がスペクタクルにおおいつくされ、スペクタクルによって人間は社会から疎外されていくのだという。
そうしたスペクタクルによって世界が覆われるいくのを打破する手段として、「状況」(シチュアシオン)を構築していくことが、シチュアシオニストたちの使命となっていた……ようである。 具体的に何をやるのか、というと、やっていることは1960年代に日本でも、フランスでもあったような左翼学生運動のようなことなのだが、それを支えている理論的な枠組みが面白い。
「「状況の構築」のためには、空間をブルジョワ的に組織することで人々の生活をブルジョワ的に組織するこうしたブルジョワジーの都市計画を批判することから始めなければならない。そして、既存の都市の奥深く入り込み、その正確な地図を作成するとともにその都市の弱点を探し出さねばならない。LIがそのために編み出した方法が、「心理地理学」と「漂流」もしくは「偏流」と呼ばれる活動である」(P216,木下誠による解説)
「心理地理学」とは、「意識的に整備されたものか否かを問わず、地理的環境が、諸個人の情動的な行動様式に対して直接働きかけてくる、その正確な法則と厳密な効果を研究すること」であり、偏流とは心理地理学を成立させるためのフィールドワーク的(かつ政治的)な方法論である。 また、「状況の構築」のために彼らは「転用」と呼ぶ方法を重視する。「転用」とは「物を本来あった場所から逸脱させること、本来の方向を逸らすこと」の意味だが、既存のものの意識的な引用、位置ずらしによってそれまで意識されていなかった側面を暴露することなどである。こうした「転用」に基づいた映画をドゥボールらは制作し、これらの活動は後のゴダール映画などにつながってゆく。
状況主義から、オルタナティブ・リアリティへ。 †
現在では、状況主義者を継承・乗り越える立場から、オルタナティブ・リアリティ・ゲームのようなものを見直し、評価するという議論がある。 →オルタナティブ・リアリティ・ゲーム 日常世界と、ゲームの世界の境目を意図的に攪乱してみせることで、現在の都市/遊戯/消費/政治をめぐる様々な想像力にオルタナティブをもたらすもの、として、オルタナティブ・リアリティ・ゲームへの期待がもたれている。
物語消費論 †
大塚英志は、80年代に起こったビックリマンチョコなどの大ブームなどに見られる消費を「物語消費」とよんだ。子供たちが商品を単に機能的/享楽的に消費するのではなく、背景に広がる物語世界とセットで商品を消費していく状況を、当時の同時並行的に起こった多くの事件との関連を説得的に提示しつつトータルに呼び当ててみせた。 こうした大塚の見通しは、マーケティングの分野では福田敏彦などによって「物語マーケティング」としてマーケティングの理論ともなっている。(→物語消費、物語マーケティング) また、DQ,FFをはじめとするゲームの売り方も、物語消費の一形態である、と整理されている。
こうした方向性は、言ってみれば社会全体のスペクタクル化とは言わずとも、ミクロなスペクタクル化を意図的に成し遂げようとする方向である。まさに商品のスペクタクル化のような様相を呈している。 つまり、現在では、ドゥボール的な目論見の先に、オルタナティブ・リアリティ・ゲームがある一方で、ドゥボール的な目論見の反対にもコンピュータ・ゲームが待ち構えているのである。*1
ストーリー・デザイン †
Henry Jenkinsの議論を、韓国のオンラインゲームの事例によって論じることを試みている、ハン・ヘウォンによれば、オンラインゲームにおけるマップデザインなどを通じた、空間の意味的デザインがゲームのストーリーテリングを考える上で重要な意味を持つ要素の一つだと、捉えている。 こうした、ゲーム内の地理的構成が、プレイヤーに与える心理的影響の関係性は、堀井雄二などがきわめて意図的に行っている。(→http://www.critiqueofgames.net/talk/005_3.html)
参考 †
ギ・ドゥボール『スペクタクルの社会』
*1 もっとも、ドゥボールは、イデオロギー闘争のようなことをシチュアシオニストの間であったとき、「オルタナティブなスペクタクルを提示すべきか、あるいは、スペクタクルそのものを否定すべきか」というような論争になり、ドゥボールは後者の立場をとったらしいので、オルタナティブ・リアリティ・ゲームのもっているような可能性は、ドゥボールにしてみればあまり好ましいものではないかもしれないが。