Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/


errand boy syndrome

 Ludologyを提唱するGonzalo Frascaの概念。日本語で言えば「押し付け感」とでも言うべきか。

 ゲームをやっているときに感じるミッションを「押し付けられている」という感じをいだくこと。

分類と問題の構成

 また、一言で「押し付け」とは言ってもいくつかのものを分けて考えてみることができる

  • (A)プレイヤーが快楽的/自主的に選び取りたい、とういう自発的な動機への否定:やりたくもない経験値稼ぎなど(→直接に押し付けられている、というよりも、やりたくもないイベントでこれを求められると、大変にダルい気分に満ちてくる、という意味で。ときには、undermining効果。内発的的動機付けがうまく成立していない状態。ド・シャームの分類で言えば、originであるよりもpawnであると感じられるような状態。「〜への自由」が成立していない状態。)
  • (B)体験選択のアーキテクチャの幅の狭さに対する不満:ストーリーが一本道でしかないことに対する不満、音ゲーなどで、決められた操作しか入力できない(自由な演奏ができない)ことに対する不満。状態を変化させる権限が内的な水準ではなく、外的な水準で制限されていることに対する不満)
  • (C)プレイヤーを「観客」としてしまうことへの不満:ムービーシーンで、一切操作入力ができない時間に対する不満  など、「押し付け」という言葉によって一様に語られるていることにも意外と多くのパターンを見出すことができる。

 (A)、(B)、(C)を構図的に整理してみると、

 まず(C)では、まずプレイヤーが行為すること自体が否定されている。  次に(B)では、プレイヤーの行為そのものは否定されていないが、プレイヤーの行為の種類/選択肢の多様性が存在しないことが問題とされ、そこにプレイヤーの能動的なコミットメントの欠損が見出されている。  最後に(A)では、プレイヤーの行為を支える複数の選択肢の種類はは複数存在していることが前提としてある。だが、その中で勝利のための効率的な解として与えられる選択肢に強い偏りがあるため、実質的にプレイヤーの能動的に多様な戦略や楽しみを選び取る自由が奪われているということが見出されることになる。

 これを、I.バーリンの「消極的自由/積極的自由」という概念に沿って考え直してみよう。消極的自由とは「決定の押し付けから逃げる自由」であり、積極的自由とは「主体的に決定ができることの自由」である。  ゲームの中における(A)(B)(C)の自由の喪失は、はたして消極的自由の喪失だろうか?それとも積極的自由の喪失だろうか?これを簡単に分類することは難しい。いずれにおいても積極的自由が成立していないという状況を見出すことはできるが、消極的自由についてはこれが疎外されている、と考えることがはたして妥当なのかどうかかなり微妙な問題である。  なぜか?ゲームにおける「押し付け」は人間対人間という構造においてではなく、アーキテクチャ対人間という構造の中で成立している。だが「消極的自由」という概念がそもそも、人間対人間というモデルを基礎付けにして成立している。ゲームを語る上で人間対人間というモデルにたった上での「自由」を語る議論は必ずしも効力をもたない。ゲームを語るとき、人間対人間、ではなく、アーキテクチャ対人間 という構造の上で議論を考え直していく必要があるということをこの一例は示している。*1  

対応策

 この押し付け感に対しては、例えば、以下のような議論をGonzalo Frascaは行っている。

  • 1.「ミッションの内容自体の出来がよければ、押し付けなんか忘れて楽しいと感じるはずだ」
  • 2.「ストーリー上で、ミッションに重要な意味づけがきちんと与えられていれば、押し付けではなくて、むしろ義務感がめばえてくる」  など。

 また、言うまでもないことだが、「押し付け」というのは、単純になくせば済むようなものではなく、安易にこれを無くしてしまうと多くのゲームが、ゲームとしての構造そのものを破綻させてしまうことになりかねない。そもそもゲームのデザインをする、ということは「プレイヤーに何かをしてもらうこと」のデザインなわけだから、「押し付け」が消えうせることはおそらく永久にありえない。  ゲームの開発論議という視点から、この問題を語るとすれば「押し付け」そのものをなくすことではなく、「押し付け」とアーキテクチャの層と、「押し付け感」というプレイヤの感性の層を別の問題として区別し、「押し付け感」がどういったときに発生してくるのかを考え、「押し付け感」の部分に対する対処法を発見していくことではないだろうか。  そう考えると、Gonzalo Frascaの議論もゲームのアーキテクチャの層ではなく、プレイヤの感性の層の話としてしかこれへの対処法を語っていない、ということにも気がつくだろう。


「シリアス」であることの困難

 Gonzalo Frascaは、「ゲームの持っている<勝つか負けるか>という二進法のロジックが、勝つためにはどんな手段でも用いるようにプレイヤーに推奨してしまうことで、それによって、どんな「シリアスさ」さえ台無しにされてしまう」として、コンピューターゲームで「シリアスなもの」を表現することが極めて困難であると主張している。その具体的な要素としては「再プレー可能性」(replayability)や、アクション可逆性(action-reversibility)といった点を挙げている。(→一回性参照)  物語表現や、ドラマティックな一回性のある体験というものが、「ゲームの論理」という別次元の論理と共存することによって生じた弊害という観点からの議論であるが、これに対して、Shuen-shing Leeは、むしろゲームシステムによってこそ、「悲劇」や「シリアス」さを表現することが可能である、と反論している。(→現実解釈としてのゲーム参照)

関連

一回性世界解釈


あとちょっと。

 例えば「あとちょっとでクリアーできたのに」とか「あとちょっとで倒せたのに」という場合は「もう一回やらなければ気が済まんゾ。」という気分になってきたりする。あるいは「あとちょっとで死ぬかと思った」というのも緊張感があってよい。「これは全然話にならない」というぐらい難しかったり、簡単すぎたりすると今ひとつやる気がしぼむ。もっとも「あとちょっと」の度合いというのも上手いプレイヤーと下手なプレイヤーとか向き不向きとかあったりして調整が難しい。万人にとっての最大公約数的な「あとちょっと」ポイントのゲームバランスを作っていくのは実に大変な労働。(あとちょっと、というバランスを作るだけではなくそれをやってやろうというテンションを保たせることも大切)  この「あとちょっと」というリアリティがゲームのおいて大きな役割を果たす、というのは単にゲームの開発技法として注目すべきだ、という議論のみにはおさまらない。「同じ作業を何度もやりなおさせる」というような一般的には飽き飽きとさせるような行為を、強制的にではなく、自発的に促すという性質をゲームがもっているというようなゲーム・メディアの独自性をここに見ることも可能だろう。


おもちゃ

 パッと思いつく「おもちゃ」の定義といえば、「遊び道具」ということだろうが、おもちゃとは何か、という問題も「遊びとは何か」「ゲームとは何か」という問題同様に実はけっこうややこしい。おもちゃの定義としていくつか思いつくものをとりあえず以下にならべてみる。

  • 1.「ゲーム」を成立させるための道具(将棋の盤と駒、バット)
  • 2.ごっこ遊びの道具(人形)
  • 3.大人の道具のミニチュア(子供用ミシン)
  • 4.他者の代理(いとまき、人形)
  • 5.工作などのための道具(粘土、積み木、塗り絵)
  • 6.パズル(クロスワード、ピクロス、知恵の輪)
  • 7.不思議なもの(手品、万華鏡)
  • 8.かわいいもの、きれいなもの。宝物。(人形、万華鏡)
  • 9.イリンクスのための道具(スケボー、スキー板)

"game"と"toy"

 ウィル=ライトは『シムシティ』はgameではなくtoyだと語る。これをコスティキャンは引き合いに出してでは、gameとtoyの境界線を分けるのは何なのか、と論じる。  コスティキャンはその境界線を「目的」の有無に見出す。「目的」をもって何か行為する場合は、目的の成立/不成立という結果をもって自動的に勝ち/負けといったコードとも強い関連を持つに至る。こうした「目的」をもってtoyを遊ぶことができれば、それはgameである、というのだ。  たとえば、『シムシティ』を単に何の目的もなく、自分好みの街を作ろうとするように遊べば、そのとき『シムシティ』は"toy"である。だが『シムシティ』をプレイする際に、人口を50万人まで増やす、という目的をもってプレイすればそれは勝敗条件が加わり、"game"として機能する、というのである。


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*1 人間とアーキテクチャが対立構造において捉えるべきものであるのかどうかが、そもそも微妙だという議論もありうるが。